映画化しようとする度に人が亡くなる呪われた小説『夜果つるところ』と、その著者・飯合梓の謎を追う小説家の蕗谷梢は、豪華

クルーズ旅行に関係者を誘い取材します。

 

集まったのは、過去に『夜果つるところ』を映画化しようとした監督やプロデューサー、原作を担当した編集者、原作の大ファンである漫画家の姉妹、有名映画評論家など・・。その他にも彼らのパートナーが参加しました。

 

すると出てくる出てくる、奇妙で不可解な証言。梢は取材開始早々にしてこの会を開いたことを後悔します。

 

実は、飯合梓という作家の正体は謎のまま本書は終わります。なんとこの不吉な原作を書いた本人は、映画化される前にはとっくに行方不明になっており、世間では亡くなったと考えられています。そう、著者の正体も不明、呪いの原因も不明のまま、『夜果つるところ』は知る人ぞ知る幻の物語となっているのです。

 

そんな原作に憑りつかれた人たちの長い長い船旅を描いたのが、今からご紹介する『鈍色幻視行』になります。本書では『夜果つるところ』の呪いと飯合梓の謎をめぐり、アレコレ考える内容になっていますが、面白いことに恩田さんはここでひとつサプライズを用意しています!

 

それは、恩田陸さんの『鈍色幻視行』のすぐあとに、飯合梓の『夜果つるところ』が二か月連続刊行されているということです!!

 

まぁ、正確にいうと、『夜~』は『鈍色~』の作中作なので、飯合梓=恩田陸なんですが、二冊あわせて完成する小説になっているわけです!!これは面白い!!

 

で、作中作と本編のどちらを先に読めばいいの?という疑問に関しては、恩田さん自身が「刊行順で」と仰っています。しかし、個人的な感想と、多くの読者の感想によると、多分『夜~』から読んだ方がよさげです。

 

というのも、『夜~』の内容が『鈍色~』で少しネタバレされているんですよね。それと、クルーズ旅行の参加者たちと同じ熱量で原作の謎やドキドキ感を味わうには、『夜~』を一度読んでおいた方が入り込みやすいような気がするんですよ。え?みんな何にそんな怖がってるの?不思議がっているの?と、置いてきぼりになる不安から解放されるというか・・。でも、どちらから読んだとしても「もう一回最初からおさらいしよう」と思う本なんじゃないかなぁとも思います。(それなら素直に順番通りに読むのが吉ですね)

 

さて、前置きが長くなりましたが本書の感想をズバリいうと、めちゃくちゃ長いでございます。653Pありますからね?正直、最初は長いな・・とリタイアしそうになりましたが、終わりに近づくにつれ、船旅と同じように「さみしいなぁ」と名残惜しい気持ちになってくる一冊でした。

 

細かな感想といっても、本書はひたすら『夜~』の関係者たちによる取材トークが繰り広げられるだけなので、(しかもミステリでもない気がします)ただ色んな人の視点から見た物語の感想を聞くといった具合なんですね。

 

その中でも興味深かったのは、本書が本好きの人なら「あるある」な共感エピソード満載なつくりになっていたところです。

 

言ってしまえば、関係者が抱く飯合梓のイメージも、原作のイメージも、本当に人それぞれ。それもそのはず、人は本を読む時、どこかしら自分の人生と重ね合わせて読解してしまう癖があるからです。つまり飯合梓と原作に抱くイメージというのは、その人自身のことでもあるんですよね。

 

想像してみると、数ある本の中でも「病んでいる人が寄ってくる本」「人恋しい人が寄ってくる本」「ぶっ飛んだ人が寄ってくる本」など、なにかとそのファン層はジャンル分けされているものです。というか読み手によって勝手に共感されて、都合よく解釈されるといっていいのかもしれません。そう考えると、飯合梓の『夜~』については、それを「母恋いものである」「いや、アイデンティティ探しの物語だ」「違う、報われない愛の話だ」「愛の不毛だ」という様々な見方があり、そのどれもがやはり読み手自身の人生観を表しているようでした。

 

だからこそ、飯合梓の印象は定まらず、自然と得体の知れぬ存在になってしまったのでしょう。『夜~』の解釈や感想自体もそれぞれが読んだ時期によって受ける印象が違うはずなのに、なぜか皆自分が一番衝撃を受けた頃の『夜~』のイメージを引っ張り出し、怖いものにしてしまっていました。

 

小さい頃に読んだときには怖くて眠れなくなったのに、大人になって読み返したら何てことのなかった本。数年前に読んだときは号泣したのに、今は何の揺さぶりもなく読める本。そんな読書体験は誰にでもあると思います。あの頃と今は何が違うの?何が変わってしまったの?もうあの時に体験した感情を味わうことはできないの?

 

同じ本でも、どんな名作でも、その時代にしか感動できなかった物語というのは確かにあります。そして、もうあの感動は蘇らないと知ったとき、何だかとても尊いものを失った気持ちになってしまいます。

 

『鈍色~』の中の登場人物たちは、それと似たような気持ちに陥ったからこそ、『夜~』の呪いにしがみついてしまったのかなぁと思いました。

 

 

どんなものを観ても、読んでも、その時のタイミングや順番で簡単に印象は塗り変わり、入れ替わる。結局は、映画でも小説でも、自分が頭の中で反芻したイメージだけが残り、それが「本当に」見たものなのかは分からない。人は見たいものしか見ないし、目にしているのに見えていないことも多い。逆に、見えないものすら見てしまう。この不完全な目、客観性を得ることのない、あくまで主観的にしか見られないいびつな目、なのにおのれの見たものこそが真実であると誰もが思い込まされているこの目こそが、我々を呪われた存在にしているのではないだろうか。P277~278

 

 

恩田さんは日常やリアルの中に真実はなく、あるのは事実だけだと言います。真実とは虚構の中にしかないそうです。だから私たちは小説や映画を求めるのでしょうね。

 

 

最後に、この本をオススメできるポイントを紹介します。当てはまる方はぜひ読んでみてくださいね。

 

①小説や映画好きな人にとっては「あるある」なことが多い

 

②人生の中で”ふと”思ったことがとても巧みに言語化されている

 

③こういう風に感じたり、考えたりしたのは自分だけではなかったんだなぁというエピソードが多くて安心する

 

④ページ数は多いけれど、不足もなく、過剰でもなく、ちょうどいい。

 

以上です。

 

ラストにかけてジーンとくる台詞が並びます。あ、ちょっとこの言葉メモしたいというような、包み隠さない人間らしい言葉に救われます。

 

好き嫌いのわかれる作品であることは間違いありません。けれども、途中まで「ダメだ~」と思っていた私が最後には感動したので、めげそうな人も頑張って完走してみてください!タイトルそのままの物語でした。

 

お次は『夜果つるところ』のレビューになります!

 

お楽しみに~。

 

 

 

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