舞台は地方の温泉街”泥首”。主人公の司はそこで”子ども食堂”を営んでいます。
なぜなら泥首には、温泉旅館に住み込みで働くシングルマザーの子たちが、腹を空かせて街をうろついているからです。彼らの大半は学校に通っておらず、親に放置されながら自力で生きています。
母親たちは揃ってワケアリで、人手不足から素性を隠したままでも働ける泥首での仕事を求め、この地へやって来ました。彼女たちは”生きる”ことに精一杯(長時間違法労働)で、我が子の教育や衛生状態は二の次になっています。
そんな親子を見かねた司は、子ども食堂を開き、少しでも困っている人たちの力になろうとします。しかしある日、食堂は殺人事件を犯した少年によって”立てこもり現場”とされてしまうのです。
少年は無実?
立てこもり犯の名は、当真といいます。当真は警察から泥首で起きた少年惨殺事件の犯人として疑われ、その無実を証明するために今回の事件を考えたと言います。
当真は食堂に来るまでの間、子分の慶太郎と共に警官を襲い拳銃を強奪していたため、なかなか捕まえることができません。事件時、食堂には4人の子どもたちがおり、彼らは司と共に人質となってしまいます。
当真は人質を解放してほしければ、真犯人を見つけ、メディアの前で自らの間違いを認め、自分に謝罪をすることを要求するのですが・・・
残念なことに、警察はなかなか真犯人を見つけられません。そうしているうちに、人質の子どもたちは衰弱していき、当真の精神状態も不安定になっていきます。司は子どもたちを守るため、知恵を働かせながら当真の説得にかかりますが―
そこで見えてきたのは、泥首で暮らす少年少女たちの悲惨な人生でした。
いらない子ども
温泉街にたむろする子どもたちは、本当に親から捨てられた子です。彼らの親は、子どもたちを不潔にしていたらうっかりできたニキビのように思っており、追われている者から住まいがバレた時には子どもを置いてひとりで逃げていく者も少なくありません。
子どもたちを”いらない存在”として扱うのは行政も同じです。子どもたちの多くは、住居不明児童であり、学校にも籍がありません。しかし、周囲はそれを見て見ぬふりをしています。また、それだけでなく、泥首では年に何件も子どもの行方不明事件が発生しているのですが、警察はそれを「どうせ一家で夜逃げしたのだろう」と考え、スルーを重ねています。
実は、当真が犯人扱いされている惨殺事件の被害者もそういった子どものひとり。被害者の少年は学校に在籍していないだけでなく、捜索願すら出されておらず、いつになっても身元が判明しません。それにも関わらず、この町の人間は「よくあること」とし、すっかり感覚が麻痺しています。
学校へ行きたい
泥首の子どもたちの多くが小学校1、2年までしか学校に通えておらす、読み書きもままならない状態です。本書を読んでいて、気の毒だったのは、当真が他人から馬鹿にされることに拒否反応を起こしていることと、慶太郎が学校に通って勉強したいと強く願っていたことです。
当真と慶太郎は、これまで何度も施設に送られては親のもとへ返されることを繰り返していました。その度に彼らは「ぼくと親を引き離してほしい」と思っていましたが、それに気づいてくれる人も、助けてくれる人もいませんでした。
彼らは生まれてからずっと親を軽蔑し、「こうなりたくない」と生きてきました。そのためには学校に行き勉強する必要があると思っていたんですね。
けれども、世間はそんな彼らの事情に興味関心はありません。訴えたところで、どうせ返ってくるのは「自己責任」の一言でしょう。そこで当真たちは大きな騒ぎを起こすことで、自分たちの声に耳を傾けてもらおうと考えたのですが、事件後に慶太郎がこぼした本音が印象的でした。
死んではじめて『かわいそう』って言われるんだ。そんなのはいやだ。同情されたって、死んだら意味ないじゃんか。生きているうちに、ぼくは、ここから逃げたかったP387
本当にその通りですよね。本書が言いたいことは、この言葉に集約されていると思います。
感想
櫛木理宇さんといえば、グロ描写のプロフェッショナルなイメージがありますが、今回はいつもよりもボカし気味だったかな?と思いました。個人的には櫛木さん比であっさりしていたので、少し物足りず・・が本音です。
泥首にいる子たちの親は、子どもの前で性行為をみせつけたり、性的虐待をする者も珍しくなく、そういった異常な環境で育った子どもたちの性自認も歪められています。
特に当真は、母親がいないことや、父親の”女”から性的虐待を受けていた過去から、女性への嫌悪が強く、自分より弱い少年に対し性的いたずらをすることでストレス解消をしていました。ただ、これは決して彼が女性に興味がないということではなく、単に大嫌いな女よりも少年をいたぶるほうがスッキリするというだけ。考えをかえれば、気に入らない女性を暴力で傷つけることは大好きなので、気が向けば女性を襲うこともあり得るのです。
かなりハードな内容ですよね。これから読む方は、色んなことに腹立たせながらの読書になるかと思います。
ただ、そんな中でも、司が子ども食堂を開くことにしたきっかけの言葉には一筋の光が見えました。
「子どもを飢えさせないのは大人の義務。これが店のモットーなんだ」
これだけはどの国でも、どんな宗教でも、共通とする価値観。他者へ無関心な社会はこんな大切な義務を忘れてしまっているのだと、改めて思いました。
ため息しかでない作品ですが、『本を一冊読み終えられるようになりたい』と願う子どもたちの思いに多くのことを考えらせられます。見た目の分厚さに関係なく、スラスラ読める一冊なので、興味を持った方はぜひ読んでみてください。
以上、『少年籠城』のレビューでした!
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