
こんにちは。今回は少年犯罪に関する本を2冊まとめてご紹介します。
まず1冊目は、宮口幸治さんの『「立方体が描けない子」の学力を伸ばす』です。
表題にもある立方体の模写は、標準的な子どもであれば7歳から9歳頃までには描けるようになるそうです。しかし著者は少年院で立方体が描けない中高生をたくさん見てきたと言います。その原因として「見たり聞いたりする力の弱さが関係しているのでは?」と考えた著者は、認知機能を高める独自のトレーニング法「コグトレ」を生み出します。本書ではその「コグトレ」の内容と使い方、少年たちのトレーニングの様子がまとめられています。
本書の前半は『ケーキの切れない非行少年たち』に書かれていた内容をまとめた構成になっています。そこでは主に「困っている子」の特徴として、認知機能の弱さ、感情統制の弱さ、融通の利かなさ、不適切な自己評価、対人スキルの乏しさ、(必ずしも当てはまらないケースもあるが)身体的不器用さが挙げられていました。
認知機能が弱いと、聞く力、見る力、想像する力が正しく機能しないそうです。認知機能の弱さの可能性のある子どもの例として、模写が苦手(点繋ぎも含む)、ケーキが切れない、個数が数えられない、自画像が稚拙などがあります。また、認知機能はすべての学習の土台となっているため、ここが弱いと小学校に入学してから学習面や友人関係で苦労する可能性も高まります。
そこで困っている子どもへの具体的支援として生まれたのが「コグトレ」でした。コグトレは社会面、学習面、身体面の3方面からなる包括的な支援プログラムで、現在では少年院よりも学校現場において、子どもたちへの早期支援として幅広く使われているそうです。個人的に本書は認知症予防としてお年寄りが試してみても良いのではないかな?と思うくらい、意外と頭を使うトレーニングが多く、さらに対人スキルを向上したいと思う方にもオススメできるのではないかと思う内容になっています。
本書の後半はこのコグトレの紹介になっていて、ほぼ教材のような感じ。実際のテキストはネットで検索すると何種類か出てくるので興味のある方はチェックしてみてください。
補足として、この手の本を読むと必ず、「え?うちの子も高校生なのにケーキを等分できなくて驚きました。まさか!」とか「私も立方体が上手く描けない、それだけで非行少年予備軍だなんて・・」という読者が出ると思います。しかし、本書が言っているのは、明らかに等分できていないケーキや正しく描けていない図形を本人ができていると認識しているかどうかです。また、何かひとつができないからといって、認知機能が弱いというわけではありません。ケーキの等分に関しては、たまたまその年齢まで何かを切り分ける機会がなかった、お手伝いの経験が乏しかったなど、学力・対人面で問題がなくても他の理由でできない場合も考えられます。だからといって等分できないのが当たり前というわけでなく、一般的には小学生までで切り分けたり、描けたりするのが標準だよ、というだけ。
さらに注意したいのは認知機能の弱い人が少年院に入るのではなく、少年院の中に認知機能の低い人が多かったということです。これは似ているようで、全然違うので要注意。尚、本書にかかれてある内容に関しての苦情は、私に言われても困るのでご遠慮くださいませ。
続いて2冊目は、伊岡瞬さんの『白い闇の獣』です。
こちらは少年犯罪を扱った小説になります。久しぶりの伊岡瞬さんで、残酷な展開になるのを覚悟して読みましたが、起承転結が目まぐるしく、意外にもスピーディーに読めてしまいました。
父・母・娘の3人で幸せに暮らしていた滝沢家にある悲劇が襲います。仕事帰りの父・俊彦のために、雨が降ったので傘を持って迎えに行ってあげようとした娘の朋美が少年3人に誘拐され、激しい暴行を受けた末に橋から落とされ殺されてしまいます。4年後、犯人のうちふたりが相次いで不審死を遂げ、俊彦が失踪していることも明らかに。その後の展開では、なぜか朋美の元担任・香織が加わり、事件は思わぬ方向へ傾いていきます。
同じく少年犯罪と被害者遺族の復讐劇を書いた東野圭吾さんの「さまよう刃」的な物語なのかな?と思いきや、それとは少し違うラストになっています。本書はいろんな事件と事件が複雑に絡み合っていて、どこまでいっても事件、事件といった感じ。少年3人に関しても「彼らにも事情があるから~」というような罪への擁護はぜず、淡々と再犯を繰り返すその”考えなさ”が書かれています。
少年たちは暴力と性犯罪の虜になっており、力加減がわからず殺してしまうこともしばしば。自分の気持ちをコントロールできないのはもちろん、人の気持ちもわからないため、逆切れをして朋美ちゃんを無残な姿にしてしまいます。また、融通が利かず、何でも思い付きで行動しています。朋美ちゃんを誘拐した時も、本当は大人の女性を狙うつもりが焦ってパニックになった少年のひとりが間違って小学生を連れてきてしまう、という流れからでした。
努力することが難しい少年らは、人の努力が理解できないため、簡単に他人の物を奪い、傷つけます。強姦を繰り返し、見つかっても、「あれは(まだ連れ去る途中で見つかって)失敗したんすよ」と悪びれません。捕まった後も、大人たちから色々と声をかけられますが、言われている意味がわからないため、ほとんど「はい」か「いいえ」としか答えません。それでも周囲からは、わかっている風に受け取られがちです。
また、対人スキルが乏しいため、どこにいってもトラブルを起こします。再び世に出ても、親からマンションとお金を与えられて、働かずに薬をやっていたり、悪いやつらとつるみ会社の物品を横流ししたりと罪から逃れられません。しかし、日本ではサービス業が就労人口の7割を占めていることからも、このままの状態ではどうにもならないのが現状ということも見えてきます。
さすがに私は、世の中の犯罪者すべてが認知機能が弱いだとか、遺伝のせいだとか、環境のせいだとか、何かひとつの原因から罪を起こしているとは思っていないことを強調させてください。ただ偶然続けて読んだ2冊が、少年犯罪における「更生プログラム」の「更生」という部分に何の意味があるのか?そんなことは可能なのか?と疑問を呈していたので、共通点のある本としてご紹介しました。
※少女や女性の心理描写が男性キャラクターと比べて弱いところ、ストーリーにやや無理がある(警察が素人に情報漏らしすぎ)ところはやや気になりました
近年、懲罰で反省はできないというような本がたくさん出ています。こういうテーマは加害者、被害者どちらの立場に寄り添うかによって考え方は違うし、荒れます。その読み方、受け取り方は人それぞれなので、自分の考えで誰かの考えを染めようとは思わず、「いろいろな考えがあるのだな」という気持ちで読んでみてください。
以上、「少年犯罪に関する本」のレビューでした!
関連記事