<書籍紹介>

職場で、アルバイト・パート先で、ママ友の間で無視、陰口、嫌味、暴言、連絡を伝えない……いじめは大人の世界でも当たり前のように起きている!大人のいじめについて、被害者や加害者、傍観者を取材、ならびに専門家にも意見を聞いたNHKの担当デイレクターが、大人のいじめの実態を伝えるとともに、いじめにあった時にどうすればいいのかなどの対処法も取り上げる。

 

本書は「あさイチ」や「クロ現」で大人のいじめをテーマに番組を制作したNHKのディレクターが、番組に寄せられた体験談やその後の独自取材などを加えて書籍化したものになります。

 

 

 

 

医療・介護・教育。この3つは、実体験としても、SNSなどを見ても、いじめの多い現場だなぁと思っていました。もちろん、どの職業にもいじめはあるとわかっていますが、この3つは異常だろうという偏見がありまして・・・

 

そしたら本書を読んでもこの3つが指定席のように、いじめの多い職業として登場してきて、やっぱりなぁと。

 

被害者が語る実例を読んで見えてきたのは、忙しい職場でそれは起こりやすいということ。そんなことをいったらどこも一緒だろう!と叱られそうですが、なんというか余裕のない現場?でソレは起こる。忙しくても人手が足りていたり、仕事量が適切だったり、閉鎖的ではない環境の職場は忙しくても「余裕」があるので比較的安心、という印象を受けました。

 

問題はその逆ですね。忙しいのに人手が足りない⇒猫の手でいいから借りたい⇒トラブルメーカーっぽくてもその人がいないと困る・雇う⇒職務経験が長くなると威張り出す⇒いじめ出す⇒問題のある社員でも辞められては困るので放置⇒新人が辞めていく⇒以下無限ループ。これは求人募集をしても人が集まらないような田舎では特に起こりやすい現象になっています。

 

大人のいじめの多くは労働現場で起き、その原因は労働環境にある。つまりはみんなストレスフルなんですよね。多忙だから効率を考えるし、個の成果に目が行くわけです。だから「仕事ができない人」「遅い人」は嫌われ、いじめてよい空気が生まれる。そもそも加害者はいじめている自覚がないどころか、仕事ができない人のせいで苦しめられている自分こそが被害者だと思っているそうです。

 

実際、ほんとうにこの人ってどうなの?というくらいサボり癖のある人や勤務態度の悪い人はいます。しかし、いくらやっかいな存在でも日本の法律では彼らをクビにすることは難しい。では、どうしたらいい?というときに「いじめ」が必要悪のように使われるそうで。そう、「いじめ」が人員管理として使われるんです。お願いあなたのほうから辞めてくださいと。

 

労働現場のいじめでは、仕事ができる人がターゲットになる場合もあります。そこには仕事ができる女性社員を男性社員がいじめるというパターンが出来上がっているようでした。男性はもともと「男らしくあらねばならない」という社会的プレッシャーがあり、女性には負けたら恥だという立場から、時にはいじめが起きてしまうようです。

 

 

いじめ加害者が女性の場合、いじめの原因となるのは嫉妬や、仕事が遅く和を乱す場合や、女性同士のマウンティングから起こることが多い。一方で、男性が積極的にいじめに加担する場合は、「自信のなさ」からいじめたり、プライドを傷つけられたことから、いじめを始めることが多い。(P50)

 

 

私が思うに、日本の労働現場は日本人の美徳である「見てオボエロ」文化のせいで損をしていると思います。実例の中に登場してきたいじめ加害者には、新体制に戸惑ったままひとり立ちをさせられたことに苛立ち、いじめへと向かった男性がいました。その人は女性社員からろくに説明を得られないまま仕事をさせられて、恥をかいたことを「いじめられた」と受け取ったのだと思います。

 

また、新人時代に自分にだけわからない用語で指示をされ、質問をしても教えてもらえないいじめにあっていた人も、数年後には自ら後輩に同じいじめを繰り返していました。

 

ふたりに共通するのは、仕事内容をきっちり把握することができないストレス。知りたくて理解を得ようとする行為、その時間こそが日本の職場では非効率であると思われているので、「悪」とされるのです。上司も時間がない、部下は適切な指導を得られないまま現場に立たされる。それでも失敗すればいじめられる。上司からするとそんなの見てオボエロよ。私だってそうして鍛えられてきたんだから。でもそうすると戦力になるまでに時間がかかる。イライラする。当たっちゃお。部下はその精神を引き継いで、私も新人には教育しなくていいんだ。忙しいからそんな時間ないし、となる。やがていじめが発生する。

 

どう考えても聞いてオボエロが効率的。聞かれる前に丁寧に教えた方が後々考えて自分も楽。きちんと教育した上で、いつまでも使えない人間を即さようならできるシステムであれば、いじめも多少は落ち着くんじゃないでしょうか。

 

 

ここまで見ると、立場の弱かった人がいつのまにか加害者に変わっているパターンがあることもわかります。大人のいじめは労働現場だけでなく、ママ友やご近所同士でもあるわけですが、後者のほうで見られたのは「弱いままだといじめられることをよく知っとけ」精神の人がいることです。

 

こちらはどうしたら被害者にならないのか非常にわかりやすかったです。簡単にいうと、強ければいいのです。例えばママ友に親子でいじめられたとします。被害者の家が学校に訴えたところで、学校は加害者に味方します。正確には味方ではありませんが、まぁ何かしたようで結果何もしてくれないような状態になります。

 

学校はとにかく穏便にしたいので、声の大きな保護者への対処に力を注ぎます。そしてたいてい加害者側の方がうるさい。学校はそんな保護者を敵に回したくないので、声の小さい被害者に我慢してもらう対応をとりがちなのだとか。

 

実はこれ、どのいじめでも共通しているのですが、被害者回避の道として、いかに自分はめんどくさい人間かを周囲にアピールすることが鍵となっているようでした。先に自分のほうがヤバイ人と認識されればいじめられない。そんな方法があるそうです。

 

だからといって、いじめっこになるというのも違いますけどね。ただ、子どもがいじめの被害者になったときは多少めんどくさい親を演じてもいいのかも。

 

 

大人のいじめはどこにも相談できないケースが多いです。確かに、いじめとパワハラが同等の意味でないことからも、いじめなのにパワハラで訴えるのは違うし、パワハラの項目にはいじめでなされているような内容は見つかりません、つまりどこで誰を頼ればいいのかがわかりません。

 

たとえ裁判に持っていったとしても、長期化し、闘うためだけに人生を使ってしまう人が多いのだとか。そんなとき、「問題に対し決着をつけることが、人生にとってどれほど大事なことか」を自分に問うことを忘れないでほしいと本書は語ります。

 

裁判で勝ってもそんな会社で定年まで働けるのか。トータルで考えて、心身共に健康であることこそが会社やお金よりも大切ではないか。働くよりも闘うになっていないか。

 

大人はある日ポッと大人になるわけでなく、生まれたときから大人として誕生するわけでもありません。しょせん、子どもから成長した元・子ども。誰もが元少年・少女です。

 

少年少女は自分勝手で、何でも人のせいにします。自分には敏感なのに、他人には鈍感。なのにそれを指摘されると怒ります。都合よく大人を罵り、都合よく保護を求めます。しかし大人はそんな過去を忘れて、少年少女時代に幻想を抱き、彼らを純粋無垢なもので、自分たちはそれよりも進化した存在だと信じています。

 

おそらく大人の正体も少年少女と差がありません。子どもから成長しないまま体だけ巨大化した人も結構いるはず。実は大人でも「余裕」のある人、持てる人なんてそういません。いたとしても、それは「そう見えるように努力している人」「そうできる人」なんでしょうね。

 

彼らには何か人生を穏やかそうに見せるコツがあるのでは。たとえばストレスの捌け口が正しく存在しているとか。日頃の鬱憤を他人にぶつけるのではなく、何かポジティブな方法で解消しているのでしょう。

 

本書の全体的な感想としては、加害者・被害者両方に共感する自分がいた、ということ。大人のいじめは日本だけでなく世界中にあって、そこにはその国がかかえる問題や文化、環境から発生していることがわかりました。

 

で、あれやこれやを考えて総合すると、日本の場合、労働環境の改善は言葉以上にいろんなものを救うのでは?と思いました。

 

きっといじめを防ぐ方法は誰にもわかりません。真面目な話、難しい。腹立つ人には文句のひとつ言いたくなっちゃいますしね。だからいじめを100%なくせるなど言いません。しかし起きたら解決する方法はゼロではないでしょう。

 

 

以上、「いじめをやめられない大人たち」のレビューでした。

 

 

 

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