今回は「代理母」に「卵子提供」という難しいテーマかつ448ページもあるのに、あっという間に読めてしまう不思議な一冊をレビューします。
<あらすじ>
この身体こそ、文明の最後の利器。
29歳、女性、独身、地方出身、非正規労働者。子宮・自由・尊厳を赤の他人に差し出し、東京で「代理母」となった彼女に、失うものなどあるはずがなかった――。
北海道での介護職を辞し、憧れの東京で病院事務の仕事に就くも、非正規雇用ゆえに困窮を極める29歳女性・リキ。「いい副収入になる」と同僚のテルに卵子提供を勧められ、ためらいながらもアメリカの生殖医療専門クリニック「プランテ」の日本支部に赴くと、国内では認められていない〈代理母出産〉を持ち掛けられ……。
『OUT』から25年、女性たちの困窮と憤怒を捉えつづける作家による、予言的ディストピア。
地方出身、非正規、貧困、未婚女性。それだけでも将来不安で仕方ないし、明日って何?生まれながらの平等って何?といいたくなります。
そんな何にもない女ができること―主人公のリキが考えた結果が、自らの子宮と卵子を売ることでした。お金持ちの夫婦から一千万を貰える代わりに、子どもを産む。その代わり、色々と「クライアントのいいつけを守ってくださいね」「遠出するときくらい一言連絡くらいしなさいよ」「まさかお酒を飲んでいませんよね」の制約あり。本書を読んでいると、身体を売るって、臓器移植みたいなものでしょ、貧困ビジネスでしょ、というツッコミもあって何だか切なくなります。または人助けともいうし、性的搾取ともいうし。私にはわかりません。
代理出産を依頼する草桶夫婦は、特に夫の基が強く子どもを希望していました。その理由は子どもにバレエをさせたいから。草桶家はバレエ一家で、基の両親もバレエをしており、バレエのエリートを必ず世に残すという使命に駆られています。だからどうしても自分の優秀な遺伝子を使いたい!
一方、妻の悠子は長年の不妊治療から卵子の老化と不育症と診断され、子どもを持つことを諦めていました。従って代理出産と卵子提供は、基の願望にすぎす、悠子はあまり乗り気ではありませんでした。そもそも基の遺伝子しか入っておらず、自分のタマゴでないどころか、自分の腹を痛めて産むわけでもない「何か」を、悠子は我が子とは思える自信がなく、そうまでして子どもを持つ必要性があるのかさえ疑問を抱いていました。
そこで登場するのが悠子の友人でアセクシャルのりりこ。
「私は子孫なんか作りたくないから。生物を生産したくないんだ。私はこの世にたった一人存在するだけでいい」(P369)
りりこは、草桶夫婦が子どもを欲しがる中、数々のハッとするような疑問を投げかけてくれます。基が草桶家の遺伝子を残したいあまりに悠子の気持ちをないがしろにしていること。基と義母で盛り上がり、悠子だけが蚊帳の外にされていること。悠子を単なる子育て要員にしか考えていないこと。そもそもお金のないリキに札束をちらつかせて、命懸けの出産をさせることには大反対、傷つくのは女性ばかりだといいます。
では、リキの方はどうでしょう。互いに考えが一致しないまま、表向きは熱心に子どもを欲しがっている夫婦の子を身ごもるわけですが、こんなのってアリ?という状況が続きます。
まず基は最初からリキを産む機会としか見ていませんでした。一回目の人工授精ではタイミングがあわず×、続いて2回目も×、自分は精子を病院に置いていくだけで、あとはひとりで頑張って下さいとリキを放置。さすがに看護師からも冷たい旦那と噂されます。※病院スタッフには代理出産を秘密にしている
基は2回とも「失敗」したからと、3回目にはリキに必要のない強い副作用のある薬を使って妊娠するように指示してきたり、まあひどい。悠子は悠子で、基と別れようかなと言い出す始末。悠子がそう宣言すれば、基は急にひとりで子育てをする自信をなくし、怖気づく。あぁなんて責任感のない夫婦。その間に子どもはどんどん成長していきます。
ただ、リキも負けていません。リキも基と交わした契約を次々と違反し、りりこに「最高」と褒められます。アンタ、あんな男の言いなりにならないところがカッコイイよ、女は男の思い通りになんていかないのよ、と。
読者は「リキもやることやってるなら、草桶夫婦とおあいこだね」と、言いたくなる一方で、リキの身体が妊娠・出産を通してボロボロになっていくに連れて、これって本当に平等な取引なのか?とも思えてきます。
意外だったのが、本書の半分以上が「妊娠するまで」に割かれていて、産後に至っては最後のほうに少しあるだけなこと。しかし、その少ししか書かれていない産後に、再び草桶夫婦の気持ちが180度変わり、最後の最後までリキが都合よく物扱いされていることにゾッとしました。
おかげでリキも我が子が愛おしいとか、離れがたくなるとか、そういう前に
産んだら再び社会から用無しにされた無価値な自分に
代理出産の手続きで一度草桶と偽造結婚したときだけ、「母親」「既婚者」という称号で、社会から一目置かれていた自分に
あれ、女の価値って、人生って何なんだろう
そんな感情が溢れ出してきて、私自身も抜け殻になったリキを見ていると、なぜかりりこの顔がチラつくのでした。
本書を読む前は、子どもを強く望む夫婦が我が子を抱くまでの祈るような日々を描いた作品かと思っていましたが、読み終えた今はいい意味で期待外れ。生殖医療を貧困ビジネスという視点から見た新しい一冊でした。読んでいると色々と複雑で、これは困っている人にとって「搾取」なのか「希望」なのか本当にわからなくなります。感想は難しいのですが、心だけはお金ではどうにもできなかった、ということなんでしょうね。
人間は既にペットの生殖を勝手に左右している生き物であり、精子バンクでも優秀な遺伝子には最高ランクを与え、優生学とはなんぞや?と頭をひねってしまうようなことを行っています。(そこに正解はないけれど)
草桶夫婦はこんな感じでしたが、すべての代理出産や卵子提供を望む人たちがこうであるとは思っていません。もしかしたら本書を読んで、「自分たちも草桶夫婦のようだと批判されているのではないか」と傷つく人もいるかもしれませんが、それは違います。この物語はあくまで生殖医療を多方面から見た中のひとつの事例。個人的には子孫を残しても、残さなくても生きやすい世の中であればいいのになとは思いました。
そもそも「子どもがほしい」理由は人それぞれだと思うのですが、その多くが「持たないと肩身が狭いから」「一人前と認められないから」とかですよね。自分のやり残した第二の人生と思って、子育てする人も結構多い。
いやいや、子どもの人生って誰のものよ?それは子どものものでしょう。
子どもは自分のために必要なのか、それとも―
人間の欲望って難しいですね。私たちは日々、何に焦り、悩んでいるのでしょう。その正体はきっと自らが作り上げた恐怖なのかもしれません。
リキは、めまぐるしく変わる東京に救われているのだ。この間まで居酒屋だった店が、次に行くと家系ラーメン屋になり、時代遅れだった布団屋だった所が、マツキヨに変わっている。前にどんな景色を見ていたのか思い出さなければ、その時の自分の気持ちなど、どうでもよくなるのだから、いつも現在進行形で暮らせる。それが、東京のいいところだ。なのに、田舎はまったく代わり映えせずに、自分を過去に縛りつけようとする。(P230)
本書はタイトルの意味を想像すると深いです。そういえば子どもの頃、車庫に燕が巣を作っていたけれど、カラスに襲撃されてから二度と戻ってこなくなったなぁ。みなさんはどう考えますか?
以上、「燕は戻ってこない」のレビューでした!
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