山崎豊子さんの遺作「約束の海」。
こちらは全3部作構成になる予定の作品でしたが、第1部を書き上げた段階で山崎さんがお亡くなりになられたため、未完のままとなっています。
山崎豊子さんといえば、戦争3部作『不毛地帯』、『二つの祖国』、『大地の子』が有名ですが、本書も生前山崎さんがずっと”書かなければならない”としていた「戦争をしないための軍隊」、自衛隊について追及した作品になっています。
戦争は絶対に反対ですが、だからといって、守るだけの力も持ってはいけない、という考えには同調できません。/尖閣列島の話にせよ、すぐにこうだ、と一刀両断に出来る問題ではありません。自衛隊は反対だ、とかイエスかノーかで単純にわりきれなくなった時代です。/そこを読者の皆さんと一緒に考えていきたいのです。今はその意識を再び考え直すタイミングなのかもしれません。(著者の言葉より)
第1部では、海上自衛隊の潜水艦と遊漁船が衝突し、遊漁船側に多数の犠牲者を出してしまうという展開になっています(なだしお事件がモデルになっていると思われ)。事件の原因には、双方に責任がありながらも、世間からは自衛隊への批判が集まり、マスコミもそれを後押しするように大炎上。そんな状況の中、海難審判へと突入していきます。
遺族の悲しみを書いたシーンでは、今読むとカズワンのこともあって、より想像力を働かせて読み直すことができました。やはり、どんな理由があるにせよ絶対に起こしてはならない事故にはかわりないのですよね。
主人公の花巻は、当時この潜水艦に乗っていたひとりで、事故後は自衛隊の存在義がわからなくなり、とても苦しむことになります。
世間の自衛隊への無理解、国防への無関心さ・・・そんなものを突き付けられる乗組員たちを見ていると、本来自衛隊のしていることは、日本人全体が考えていかなければならないものなのに、ただ批判するだけで本当にいいのかと改めて焦りが滲んできます。
事故はあってはならないことでした。しかし自衛隊がいてはならない存在というのは、私自身とても納得できる考えではありません。
花巻は事故後、責任を取るため辞職を申し出たのですが、そこで先輩から次のような言葉をかけられます。
「確かに自信のないまま続けていい仕事ではないからな、但し、責任を取るなら、それが何に対する責任か、自分自身ではっきりさせろ、明確でない責任感は単なる感傷かもしれん、それに、辞めたからと云って、罪の意識が軽くなくなるわけではないはずだ―」
第1部で花巻は、まだこの責任の意味に辿り着けていません。私はここに山崎さんが考えた自衛隊の存在意義のようなものがあると思っています・・・。
本書の最後には山崎さんがざっくりと作っていた3部までのメモ書きを公開してくれているのですが、それを読む限りだと、どうやら2部は花巻の父親の過去に焦点を当てていくようなんですね。
実は花巻の父親にはモデルがいて、それが真珠湾攻撃で特別任務を背負って参戦したのちに捕虜となった人物(酒巻和男)だと明かされています。※酒巻さんは太平洋戦争における最初の日本人捕虜であり、『二つの祖国』にも少しだけ登場しています。
1部のラストでは花巻がハワイへ派遣され、2部では父親の過去を辿る展開になっていくのですが、実は花巻自身、父親の軍人時代のことを何も知らずに育っているんです。花巻が生まれた時には既に父親は自動車会社に勤務しており、一度も戦争について語られたことすらありませんでした。
山崎さんは花巻に「父の戦争」を追体験させることで、責任の意味や彼の再生を促したかったようで・・・。第1部では潜水艦の描写からかなり綿密な取材をされたことが伝わってきますが、次の2部では酒巻和男に関する現地取材や米国国立公文書館から入手した資料をもとにした再現、機密資料である「尋問調書」から日米の心理的対決描写を書こうとしていたなどから、より力を入れて取材をされていたことがわかります。
2部では花巻に日米での軍人の地位の違い、戦争への考え方への違いに触れさせることで、読者にも戦争とは、日本人とは何かを考えてほしかったことが伝わってきます。
3部では物語のクライマックスとして東シナ海が予定されていたそうです。残念ながら3部のほうはまだ答えを見つけられぬまま色んな案だけが並んだ状態だったそうです。
自衛隊とは、平和とは、戦争とは。
山崎さんが最後に残したかった言葉を聞けなかったのは本当に残念でなりません。
核心に迫る2部が面白いだろうというのは、読まなくても想像できますよね。1部はほんの導入部分。本書が完成されていたら、日本人の戦争観にも新たな動きがあったのではないかとも思える作品でした。
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