今回ご紹介するのは、イーユン・リーさん「独りでいるより優しくて」です。

 

こちらはALL REVIEWSで角田光代さんがオススメされていた一冊。「ある女子大生が被害者となった毒混入事件を核に、事件に関係した当時高校生の三人の若者がその後二十数年抱え続けた深い孤独を描く」という内容紹介にひかれて読んでみることにしました。

 

たぶん私は、この物語の舞台が日本だったら手に取らなかっただろうな~と思います。何となく興味を持ってしまったのは、それが中国を背景にしたものだったからでしょう。

 

この物語の主な登場人物は、泊陽(ボーヤン)と黙然(モーラン)、そして如玉(ルーユイ)という高校生三名。ボーヤンは容姿端麗で成績も家柄も良いモテ系男子、けれども両親とは不仲(?)で、ひとり四合院(中国の四つの面に家屋がある伝統住宅)で生活しています。モーランもその四合院の住居者で、ボーヤンとは幼い頃から仲の良い女の子。全然ひっそりではありませんが、ひっそりとボーヤンに恋心を抱いています。

 

そんな二人のもとに、ある日ルーユイという同学年の美少女が現れます。ルーユイは同じく四合院に住むシャオアイの家に居候するらしく、ボーヤンたちは彼女をお世話することになりました。しかし、ルーユイは・・・・・

 

彼女の設定は孤児という複雑な生い立ちを背負い、血の繋がらない親戚的なおばさんの家で高校時代を過ごさせてもらうというものなんですが、とにかくキャラクターが強い。なんだろう、孤独とか寂しさとかの前に、独特の強さを感じさせます。

 

対してモーランは普通の女子高生。というか本書で唯一親近感を持たせてくれるキャラクターなんです。しかし、そんな彼女はルーユイからすると、子どもっぽすぎる存在で相手にもなりません。そしてルーユイはそれをモーランに隠そうともしないどころか、堂々と意思表示してきます。

 

で、これが結構リアルでもよくあるパターンですが、ボーヤンは幼なじみの気心知れたモーランではなく、美人で賢いミステリアスなルーユイに恋しちゃうんですね。あぁ切ない。

 

しかし、ここでもこの恋模様を嘲笑うシャオアイという強烈な女が登場します。シャオアイはルーユイが下宿する一家の一人娘で、かつてモーランたちにとっては憧れの先輩でしたが、最近政治批判をしたことで大学を退学させられてから精神不安定になり、ちょっと危うい感じになっています。

 

作品の時代背景が天安門事件の後ということで、政治的な理由で退学になったシャオアイが就職できるはずもなく、「学校で優秀な成績をとらなかったら、自分の人生だけじゃなく親の人生もだめにする」と教育を受けている中国人にとっては、いくらシャオアイの言っていることが正しくとも「善人でいることはこの国では何の意味もないことであり、どんな争いでも間違いのないほうにつくことが無事でいる唯一の道」であることは確か。つまりとてもシリアスな状況なんですね。

 

だからこそ、シャオアイの人生はもう終了だ、過ちを犯してしまった以上は取り返しがつかないのだという世間の空気はすごくて・・・・。彼女はただでさえこの国では変わり者扱いですが、そこに絶望感が加わってどんどんやさぐれ、周囲にとって面倒な存在になっていきます。

 

おそらく幼少期からの小さな疎外感に似たものが、彼女を孤独にさせ、警戒心を育ませ、もうひとつのある悩みをつくってしまったのでしょうが、その被害者になったのがルーユイだったというのもあり、本来この二人は近づけてはいけなかったのかもしれません。

 

そうなんです。このシャオアイは死んじゃうんですよ。毒を飲んで?飲まされて?とにかく毒によって長い間、寝たきりの生活を余儀なくされたのちに亡くなったんです。

 

ちなみに本書は、シャオアイが亡くなった後の火葬場のシーンから始まるのでここはネタバレではありません!ご安心を!この物語の要は、毒混入事件の後、バラバラになってしまったボーヤン、モーラン、ルーユイ、三人の人生を過去と現在を行ったり来たりしながら見つめていくところなんですね。

 

三人はこの事件後、孤独に生きること、自らを孤立状態にすることで自分自身の人生を生きずに残りの時間を生きようとしています。特に女性ふたりは渡米し、それぞれ自らを痛めつけるような人生を歩みます。

 

ぶっちゃけていいですか?

 

正直、最初は暗すぎて、憂鬱すぎてとても読めたものじゃないと思っていました。登場人物の気持ちがまるで理解できなくて難しいとすら思いました。もちろん中国の文化や思想がキャラクターに強い影響を与えているとはわかっていても、ちょっと私はこういう思考ではなくて助かったなと思えるくらいしんどい読書でした。

 

超絶共感できるレビューがあったのでご紹介すると、ほんとコレです。

 

気持ちの動きや相手のちょっとした仕草をあれこれと忖度する 感じたこと気になったことを全てを言葉に直さずにはおかない それは執念のようなものを感じさせる程だ そして決して結論を求めるのではなく疑問や否定のまま 三人称の記述でこれが370頁に及ぶ 少艾の死はあるものの事件や謎解き風には語られない物語性は霞む 解説によると主題は孤独とあるがそれは寧ろ切れ味のある短篇にこそ相応しいような気もする 日本人なら一首一句の短歌俳句で済ますかもしれないものに何頁も費やしているようだ 異文化にぶつかったような読後感(読書メーターより)

 

私も最初はこんな心境で、何度か挫折しそうになりました。そんなに互いのことを観察して、値踏みしているなんて疲れるよ、ちょっと変だよ、自分以外の人間を敵対しすぎてめんどくさいよ。でも国が違えば仕方ないのか。とも考えました。けれども半分ほど読んだところで急にすっと言葉が入って来る不思議な感覚が訪れたんですよね。

 

本書では誰が何のために毒を盛ったのかについてはハッキリせずに終わります。自殺だったのか、他殺だったのかも曖昧に。実際の事件も未解決だと気持ちが悪いですよね。そういった面ではしっくりこないという読者がいるかもしれません。登場人物たちも常に疑問を持ち続けているし、謎な言動も多い。

 

ただ、私にはふとそれが中国の姿に見えてしまいました

 

いや、もしかしたらイーユン・リーさんは登場人物の行動から中国の姿を描きたかったのだろうかと思ったんですね。

 

いってしまえば、三人の孤独が、中国の孤立感にも見えてしまうような。そう思うと、再度読み返してみたくなり、二度目では一度目のときには簡単に通り過ぎた言葉がどんどん頭に入ってきて、胸に響いてしまいました。もう、その瞬間から三人の気持ちがドバ―っと脳内に溢れ出て来て、ようやくイーユン・リーワールドに入場できた感じ。なので私と同じく挫折しそうになった人には、ぜひここまで我慢して待ってほしいなと思います。

 

また、ずっと孤独に吸い寄せられていた三人がラスト、優しさに身を捧げだそうとしたとき、「生きることと、生きてきたことと、それは同時にはできない」という言葉を思い出し、よくわかりませんが、そこにはタイトルに通じるものがあるのかな?とも思いました。

 

これほどいい意味で重い読書はなかったかも。この次に読む本はおのずと物足りなさを感じてしまうだろうなと思ってしまうくらい、濃密な読書体験でした。

 

登場人物たちの名前にも深い意味があって切ないところもGOOD。まあ詳しいことは本書を読んでみてくださいということで終わりにします。

 

 

 

 

個人的には、モーランの北京時代、アメリカ時代の話が一番伝わるものがありました。読みにくいかな、というかたにもココなら共感できる部分があるかもしれません!中国語のネイティブが英語で書いた作品を日本語に直しているので、翻訳書苦手~と警戒されるかたにとっては手に取りづらい一冊かもしれませんが、ぜひ根気強く読んでみてください!

 

以上、「独りでいるより優しくて」のレビューでした。

 

 

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