チェルミー図書ファイル165

 

 

今回ご紹介するのは、山口恵以子さんの「月下上海」です。

 

山口恵以子さんの作品は、これまでに当ブログでも二冊ほどレビューしてきました。

 

過去のレビュー記事↓

 

 

山口さん作品のレビューを読んでいると面白い発見があります。それは、山口作品は「少女漫画チックで物足りない」という人と、「その人情味あふれる描写が読みやすくていいのだ」という人に二分するところ。

 

実は私も前者赤チームの感想を持つことが多いのですが、毎回山口さんの選ぶテーマがツボ過ぎて結局読んでしまいます。ホントそれくらい興味深いテーマを持ってきてくれる作家さんで・・。もうテーマだけで9割のハートをさらっていく感じです。

 

今からレビューする『月下上海』は、そんなテーマ選びの女王・山口さんが食堂のあばちゃん時代に執筆した初期の作品になります。第20回松本清張賞を受賞して話題にもなりました。もうね、さっそくテーマがそそるんですよ。ぜひ皆さんともテーマを知るだけで気になっちゃうあの感覚を共有したいので、以下に「あらすじ」をご用意しました。

 

では、いきますね?

 

 

 

 

 

 

 

 

スキャンダルを逆手にとり人気画家にのしあがった財閥令嬢・八島多江子。謀略渦巻く戦時下の上海で、多江子が愛する運命の男たち。
 

昭和17年10月、八島財閥令嬢にして当代の人気画家・八島多江子は、戦時統制化の日本を離れ、上海にやってきた。そこで、招聘元である中日文化協会に潜入していた憲兵大尉・槙庸平から、民族資本家・夏方震に接近し、重慶に逃れた蒋介石政権と通じている証拠を探すように強要される。

 

「協力を断れば、8年前の事件の真相をマスコミに公表する」8年前、多江子が夫・瑠偉とその愛人によって殺されかける有名な事件が起きた。愛人は取り調べ中に自殺し、瑠偉は証拠不十分で釈放されたものの、親元の伯爵家から除籍され、満州へ追われた。そして奇跡的に一命を取り留めた多江子は、スキャンダルを武器に人気画家へのし上がった。だが、その真相は、愛人と外地へ駆け落ちしようとした瑠偉を許せなかった多江子が、他殺に見せかけて自殺を図ったのだった。

 

槙は何故か、その秘密を嗅ぎつけていた。不本意ながらも夏方震に近づいた多江子は、その人間的な大きさに惹かれて行く。夏もまた、首と心に大きな傷を持った多江子の強さと孤独に惹かれ、心から愛するようになる。やがて夏の求愛に心を開いた多江子は、槙にきっぱりと任務を断り、夏の胸に飛び込み、共に生きる決心をする。

 

だが、多江子の何気なく漏らしたひと言からヒントを得た槙は、工作員を捕え、夏をスパイ容疑で逮捕してしまう。多江子は槙の利己主義につけ込み、莫大な謝礼と引き替えに、夏を憲兵隊本部から連れ出す取引をする。そして夏を実家の八島海運の貨物船で密航させ、上海から逃がす。

 

だが、成功に油断した多江子は槙に犯されてしまう。槙の真の狙いが八島海運にあると察した多江子は、命懸けの対決を余儀なくされる。そして……。(Amazonより)

 

 

 

ね?面白そうじゃないですか?

 

戦時下の上海が舞台なんてそれだけでもワクワクしませんか?

 

おまけに主人公の多江子は財閥令嬢で、愛する夫が不倫相手と駆け落ちした際に、他殺を装った狂言自殺をしちゃうんです。でもそれが未遂に終わり、窮地に立たされた多江子は、スキャンダルを武器に変えて人気画家へとのし上がります。(しかも菊池寛に自らスキャンダルを提供し、売り出してもらったのだから大したものです)

 

もうこれだけでも昼ドラ要素満載で、読みたくなる人は多いと思います。いや、事実、昼ドラより濃いドラマなんですよ。

 

まず多江子と夫・瑠偉の関係が歪すぎるんですよね。多江子の夫・瑠偉は、伯爵家の生まれながら、父親が身分違いの貧しい外国人との間につくった子供で、親族から疎まれて育った孤独な男性なんです。そんな瑠偉を、多江子は幼い頃から見守り、家族にかわって面倒をみてきました。

 

やがて愛情を知らぬまま大人になった瑠偉は、数多くの女性と関係を持つことで、心の安定を保つようになります。しかしそんな状態では誰とも長続きせず、孤独さは増すばかり。結局瑠偉の複雑な心を理解し、付き合える相手は多江子しかおらず、二人は”夫の浮気公認”というもとで婚姻関係を結びます。

 

多江子には昔から強い正義感があり、弱者を放っておくことができない性分でした。おそらく誰かの役に立つことで、自身の存在意義を確認するタイプなのでしょう。ただ多江子にはその認識がなく、一方的に尽くすことを男女の愛と錯覚しているようでした。一方、瑠偉が多江子を見る目は”息子が母親を求める目”そのもの。早くに両親を亡くした瑠偉にとって、多江子は女性である前にたった一人の大切な家族でした。

 

恋人よりも大切な存在が多江子、何でも甘えられるのが多江子。瑠偉は自身の浮気はさておき、多江子を独占したがり、褒められたり、叱られたりするのも大好きでした。他人からみたら、ただ多江子をいいように利用しているクズ男にしか見えない瑠偉でしたが、その行動の裏には幼児が母親を愛するのと同じ気持ちが秘められていたのです。つまり多江子は無自覚のまま瑠偉の母親代わりをしていたのですね・・。

 

そうなんです・・・。あらすじを読んでお気づきの方が大半だと思いますが、多江子には瑠偉とのように歪な関係性を持つ男が他にも3人います。そして、これこそが物語の肝になります。

 

スキャンダル後、日本を離れ上海に渡った多江子にスパイをさせる憲兵大尉の槙庸平、その多江子にスパイをされるものの全てを理解し、受け止めてくれる夏方震、多江子の亡き弟に瓜二つで抗日運動に身を投じる黄士海。

 

す、凄い・・。あまりにも魔性の女すぎます。あらすじだけ見ると、昼ドラすぎて「ちょっと・・・」という人もいるかもしれませんが、時代に翻弄されるキャラクターたちが一人ひとり丁寧に描かれているので、わりと違和感なく読めます。なんといっても多江子の聡明さが魅力的で、周囲が憧れる気持ちがわかりますね。

 

ただ、話が盛り上がるまでに少々時間がかかります。

 

最初は上海の地名や建物の名称の羅列がひたすら続き、なかなか場面展開しないのが辛いです。途中で「あ、ずっとこの感じだったらどうしよう」と心配になりますが、後半にかけて異常に面白くなるので我慢です。

 

 

印象フレーズ

何だかこのレビューだと、ただの色恋沙汰本になってしまいそうなので、そこは訂正しておきます。やはり舞台が戦時下というのもあって、シリアスなシーンが目立ちます。

 

たとえば多江子が父と日米開戦のラジオ速報を聞き、語り合うシーンではこんな会話があります。

 

「この度の戦で、日本に勝ち目はない。敗北は必須だ。半死半生で命永らえるか、完全に息の根を止められるか、どちらかだと思う」

 

「山本監督は『半年くらいは存分に暴れてご覧に入れる』と言ったそうだ。つまり、半年くらいなら何とか戦えるが、それから先は国力が持たないということだ。『存分に暴れて』いる間に、うまく和平交渉が成立すれば希望が持てるが、今の政治家や軍人どもにそれだけの才覚と度量があるか、はなはだ疑問だ」(P30)

 

八島財閥の母体である八島海運は、世界各地に支店を持ち、情報網を張り巡らせていました。また、多江子の父は陸海軍の上層部とも付き合いが深く、東条英機氏から直々に内閣顧問就任を打診されている人でした。

 

「八島海運はお国の発展と共に大きくなった。今日あるは、お国のお陰だ。今更お国が危ないからといって、尻に帆掛けて逃げるわけにも行くまいさ」(P31)

 

戦時中は軍人におもねっていたのにも関わらず、敗戦後に掌を返して軍部を非難した日本人。自らの二面性を自覚していた国民は一体どのくらいいたのでしょうか。

 

戦闘の結果を隠蔽するような、遺族への連絡を故意に遅らせるような、生還した将兵を世間から隔離するような、そんな首脳陣に率いられた軍隊が、勝ち続けていけるわけがないと。(P32)

 

船旅をしている時、船に命を委ねていても、エンジンや航路の心配をしている船客などいないというたとえにはハッとさせられました。これは今の平和ボケした日本人も同じではないでしょうか。

 

「でも乗っている船がタイタニックだということは知っています」

 

多江子のこの台詞を再び私たちが使う日が来ないことを祈ります。

 

子供の頃、多江子は生と死を、この世とあの世と思っていた。自ら命を絶とうとして生還してからは、川の両側と思うようになった。そして戦争を経験した今は、川と海のように思っている。川は必ず海に注ぐ。(P247)

 

だから、心配しなくても、誰しもいつか大切な人のもとへちゃんと流れ着く。急がなくても近づいていく・・。亡くなった人たちへ残したこのフレーズが一番印象に残りました。

 

 

まとめ

個人的にはとても好きなお話でした。

 

が、やはり「物足りない」「深みがほしい」というレビューは多いです。

 

おそらくですが、小説を読むときに物事を見るか、主人公に感情移入するかで全然感想が違ってくるのでしょうね。

 

しかしこれらは、書かれてある事象を純粋に読んでいない証拠でもあるのかな、と思いました。

 

私が山口さん作品を面白いのに、物足りないと思ってしまうわけは、結局は自分の読みたいようにしか読解していないからです。つまりはちゃんと読めていない。

 

なぜそう思ったか。それは、いつものように『月下上海』も人様のレビューでは物足りない評が目立つ中、珍しく「面白かった」と思ったからなんですね・・。描写スタイルは同じでも、自分のピントに合う作品であれば、多少のことは気にもならず、満足がいくことに気づいたのです。だから松本清張賞なのね~と納得!

 

本って、面白くても、面白くなくても、実はちゃんと解釈できていることって少ないのかも。深いなぁ。また新しいことに気づけて良かったです。

 

私は普段、「物事」にこだわり過ぎる傾向にあるので、レビューではできるだけ「ハート」で感じたことを書くようにしています。

 

基本、苦手な作家さんの本も好きになるまで読みます。読みまくっているうちに、ある日ドハマりする一冊に出会ったりもするのでそこも楽しい!

 

私の場合、もう少し柔軟に、シンプルに、読書できるようになると、趣味の範囲も広がるかも。

 

そのためにも、これから多種多様なジャンルに手を染めたいと思います。

 

以上『月下上海』のrビューでした。