チェルミー図書ファイル37

 

 

「白鳥異伝」 荻原規子

 

 

今回ご紹介するのは、荻原規子さんの「白鳥異伝」です。

 

こちらは『勾玉シリーズ』の第二弾!!「輝」の末裔と「闇」の末裔のその後が描かれています。

 

 

前作『空色勾玉』の感想は↓

 

 

物語を読む順番としては、空色勾玉⇒白鳥異伝⇒薄紅天女となりますが、それぞれ時代が違うので、ファンの間ではどこから読んでも楽しめると言われています。しかし、チェルミーとしては物語の中に生きる人々の思いや流れをつかむために順番通りに読むことをオススメしますハート

 

チェルミーは白鳥異伝>空色勾玉派です

 

 

ネタバレ注意

 

 

あらすじ

巫女である橘一族の分家の姫・遠子(とおこ)と拾われ子・小倶那(おぐな)は、三野の地で双子のように育った。しかし2人が子供から大人へ変わる時期――2人の別れの時期は、徐々に近づいていた。

ある日、2人は小倶那にそっくりな青年と出会う。彼の正体は日継の皇子・大碓(おおうす)。不死を求める大王(おおきみ)の命で、橘に代々伝わる勾玉と本家の姫巫女・明(あかる)姫を迎えに来たのだ。出逢った瞬間から惹かれあう大碓と明姫だったが、大王の命には逆らえず、明姫は大王へ嫁ぐことになる。同時に小倶那もまほろばの都へ上り、大碓の部下として様々なことを学び始める。

それから3年、少年から青年へと成長した小倶那は、偶然、下女となった明姫と再会する。勾玉の力を失った明姫は、罰を受けていたのだ。愛する姫の不遇を知った大碓は、小倶那を囮にして明姫や部下たちと三野へ逃れ、大王への反旗を翻す。しかし追討軍を率いるのは、小碓(おうす)こと自らの出生を知った皇子・小倶那だった。その手には、破壊の神力を象徴する大蛇(おろち)の剣があった。裏切り者として大碓に殺されそうになった小倶那は、身を護ろうとした剣の力で大碓を故郷の三野ごと滅ぼしてしまう。

かろうじて生き残った遠子は、愛する小倶那を殺すため、大蛇の剣に対抗できる橘の四つの勾玉を求めて、旅を始める……

 

wikipwdia参照

 

 

「小俱那はタケルじゃ、忌むべき者じゃ」という大巫女の台詞がある通り、『白鳥異伝』はヤマトタケル伝説を下敷きにした壮大なファンタジーです。

 

また、『日本書紀』の『雄略記』に出て来る少子部連スガルをモデルとした「菅流」というキャラクターも出てきます。

 

まさにハリーポッターのお国柄の強さに負けないほどの日本色!!ん~難しそうだな・・という方も安心してください。600ページもあるのに、読み終えるのがもったいない、もっと読みたいと思える古の魔法が、この本には掛かっています!!日本神話を知らなくても読めちゃうので、そこは心配なくチャレンジしてください音符

 

 

考察

小俱那は大王とその妹・百襲姫との間に生まれた忌むべき子。

 

幼少期は義理の両親に育てられ、村の悪ガキたちからはイジメられる孤独で弱虫な少年でした。

 

自身の出生の秘密を知ってからは「ぼくは生まれてきてはいけない人間だったんだ」と、一人で悩み続けることになります。

 

剣の力を手にし、その力をコントロール出来なくなった時も「自らが死ねば解決するんだ」と、生きることに何の期待も持たない小俱那。

 

彼の心の中には、いつも孤独と死が伴っていたんですね・・。

 

そんな風に誰にも心を開かず、”自分”を持つことさえ許さず生きて来た小俱那でしたが、遠子だけは信じることが出来ました。

 

遠子だけは自分を必要としてくれる、遠子だけは心の底から自分を愛してくれている

 

しかし、剣の力を止められるのは、皮肉にも遠子の勾玉の力だけだったんですね・・。

 

この剣の力の正体は、百襲姫の歪んだ愛情が引き起こしたもの。息子の愛を独占し、縛り続けたい母親の間違った、歪んだ、力でした。母親の力を消すということは、小俱那自身を消すという意味でもありました。

 

それでも剣の力がある限り、美しい自然も、人々も、生き物たちのすべてを苦しめてしまう・・。

 

遠子と小俱那。どちらか片方が滅びないと決着がつかない中、二人が出した答えは「小俱那の死」を「遠子が受け入れる」ことでした。

 

遠子は最後まで小俱那と共に生き残る方法を模索しましたが、それは小俱那を苦しめる結果になっていました。

 

”自分”を持つことを許してこなかった小俱那が初めて自らで持った意志。それは死を差し出すものではありましたが、そこを認めず、ねじまげてひきとめることが良いことなのだろうか。それは、百襲姫がしていることと同じなのではないだろうか。

 

そう考えた遠子は手放すことも愛と知りました。

 

「(剣は)ぼくの母であると同時に、ぼく自身でもあるからだ。ぼくが身を負い、始末するのが何より本当なんだ。遠子とともに生きたいと、今も思っている。けれども、明日行かなくては、ぼくは自分ではなくなってしまうんだ」

 

「わたしはあなたが大好きよ。だから、きっと・・・あなたを信じられる。あなたのすることを信じられると思うの。あなたがそれを正しいと思い、自分から進んで行くのなら、わたしは無理にとめないわ」

 

これは決して「死」を美化しているわけでありません。

 

だって結果はハッピーエンドなんですものキラキラ

 

都合の良い結末でもなんでもなく、ハッピーエンドの予兆は既にこの時点で決定的なんです。

 

無欲で自分を持てなかった小俱那、強情で引くことが出来なかった遠子。

 

剣と勾玉、その両方は彼らが”未熟”だった頃は、ちっとも言う通りにはなってくれませんでした。

 

まるで神の力は偉大なんだと、嘲笑われるかのように・・。

 

しかし、二人は剣と勾玉を通し、それを持つ人間として、どんどん成長していきました。

 

そして、あの瞬間ようやく二人はそれぞれに足りなかったモノに気づき、手にすることが出来たのです。

 

その成長の証が小俱那をこの世に留まらせてくれました。

 

死ぬ覚悟で母親へ立ち向かった小俱那も、最後の最後まで「生きたい」と願いながら戦いました。

 

ぼくは、ぼくのままで生きていきたいんだ。誰かに作られた自分ではなく、ぼくが選んだぼくとして生きたいんだ

 

己がなかったからこそ弱かった、だこらこそ隙を魔物につかれてしまった。

 

死を前にして漲ってくる感情。人は変われる、強くなれば生きていられる。

 

それはどんな力も跳ね返すほどの思いでした。こうして小俱那は剣に打ち勝ったのです。

 

 

チェルミーポイント

『白鳥異伝』を読む前にしてほしいことがあります。

 

それは小さい頃にたくさんの自然に触れるということ!!

 

チェルミーはド田舎育ちなので、大自然と共に季節を分かち合いながら育ちました。

 

勾玉シリーズには、たくさんの神様が出てきます。それは自然の神々です。

 

文中の自然を表す描写がどれも素晴らしく儚く美しい・・キラキラ

 

しかし、それは文章として感じるのではなく、心の記憶で感じてほしいな~と、子どもたちには思います。

 

文章として得る美しさの前に、実体験としての感情が先にあってこそ物語の尊さを楽しめると思うのですクローバー

 

チェルミーは荻原さんの描写が大好きです。

 

言葉のひとつひとつから、風のにおいや、冷たさ、人々の笑い声、仕草、生き物たちの動きが伝わって来ます。

 

まるでそれらを目の前で見ているかのような錯覚を起こしてくれる文章。荻原さんは自然に寄り添って生きている人なんだなぁと思います。

 

そして、この感受性は作家も読者も共有できるもの。ぜひ、普段は自然とは縁がないという人も外に出て見てください。外にさえ出れば、どこからでも太陽や月の光に照らされるし、雨や風にだって当たれます。最悪外に出られなくても窓を開けると鳥の声が聴こえませんか?

 

どんな小さなことでも構いません。本を読むにあたって”自然を感じること”は、読書をより一層楽しませてくれる要素になると思います。

 

また、それと同時に「古い物語を読む」こともオススメします。

 

真の名作はいつの時代にも蘇ってくると、チェルミーは思っています。

 

そんな意味では日本神話も当てはまりますが、様々な物語と言う教えの中で、本当に残る真実とは、たったひとつだけじゃないのか?なんて感じたりもするんですね。

 

いろーーーーーな物語がありますが、実はその中から私たちが得るものって、話の内容は違っても同じなんじゃないかな?結局同じところに辿りついているんじゃないかな?と思います。

 

遠い昔から巡り巡って同じひとつの答えに辿りつく。

 

それでも人々は、同じことを繰り返し、考え続ける。

 

なんとも面白いなぁとノスタルジックな気持ちになるチェルミーでした。

 

ちなみに、『白鳥異伝』は恋愛要素が強くて少女漫画チックだガーンという感想も見かけますが、本とはこちらも面白いもので・・その時の読むタイミングによって、どの場面、どの文章に心を奪われるか全く違って来ますよね。

 

おそらく私も中学生くらいなら恋愛要素的な部分が気に入っただろうし、拗らせた時期なら小俱那の孤独さに憧れたかもしれません(笑)

 

でも、まぁ、それでいいと思うんですよ。自分の心に触れるタイミングってありますからね。昔はダメだった本でも今読み返したら共感できる本とか、そういう出会い方も素敵だな、と思います。