ずっと我慢していると | 児童養護施設で働いて思うこと

児童養護施設で働いて思うこと

元会社員で、転職し、児童養護施設と一時保護施設で働いていました。
そこで考えたこと、思ったこと、願ったこと、綴っています。

ずっとずっと我慢していると、

いつしか怒りになってしまう。

 

誰かの幸せのためにした我慢さえ。

自分の気持ちをおさえるほうがいいと、その時は思っていたけれど。

あまりに長い事続けていると、苦しさが怒りになってしまう。

自分の気持ちを無視された悲しみ。

自分の気持ちを軽んじられた悲しみ。

誰にも気づいてもらえなかった悲しみ。

自分を大切にしてもらえない悲しみ。

自分で自分を大切にしなかった悲しみ。

悲しみ。寂しさ。孤独。我慢。

苦しい感情は、なぜか怒りになる。

恨みになる。

 

 

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私が我慢すれば、お母さんは幸せ。だからいいの。

私は辛くてもいいの。みんなが幸せならいいの。

 

 

そう言って泣く子は多かった。

 

家族が幸せなら、私はいいの。

お母さんはその方がいいから、私はいいの。

 

でも、涙が出るってことは、

「つらいよ、もう限界だよ」って心が言ってる。

もう我慢するの、やめていいんだよ。

本当は、どうしたいの?

お母さんに、どうしてほしいの?

 

そう聞くと、

「ママにぎゅってしてほしい」

「ママに笑ってほしい」

「みんなで仲良くしたい」

そんな答えが返ってくる。

小さい子だけじゃなく、高校生も。

 

そっか、本当は、そう思ってたんだね。

我慢して、頑張ってたんだね。

悲しかったんだよね。

 

そう言葉にして気持ちを認めてあげると、たいてい、わっと涙があふれる。

心の底に、どんなに悲しい気持ちがあったか。

どれほど我慢していたか。

よく伝わってきた。

 

そして、悲しい事に、

我慢している子どもの親や家族は、たいていそれに全く気付いていなかった。

むしろ、子どもは喜んでいる、楽しんでいると思っている。

言葉にしてしまうと悲しいけど、子どもの独り相撲になっていて。

我慢する必要なんて、自分が犠牲になる必要なんて、最初からなかったんだ。

親に鈍感な要素があったとしても、だったら猶更だ。

 

「そうじゃないと、お母さんはこうなっちゃう」

そういって、子どもはこれからも我慢を続けるか悩んでいた。

子どもの中の、「こうしなきゃいけない」という頑固さなのかもしれない。

「こうなったらあの人は不幸」

「これが幸せで、私がこうしてあげないと、そうならない」

そんな価値観を握りしめているようだった。

 

私もそれ、わかる気がした。昔の私。

いつか、自分の幸せを追求することを自分に許せる日がくるといいな。

できるだけ、早く。

 

 

家族にわかってもらえない寂しさ。

家族のために我慢する苦しさ。

自分の幸せを追求できない悲しさ。

 

悲しみのうちに。

寂しさのうちに。

怒りになる前に。

とかしてあげたかった。