ずっとずっと我慢していると、
いつしか怒りになってしまう。
誰かの幸せのためにした我慢さえ。
自分の気持ちをおさえるほうがいいと、その時は思っていたけれど。
あまりに長い事続けていると、苦しさが怒りになってしまう。
自分の気持ちを無視された悲しみ。
自分の気持ちを軽んじられた悲しみ。
誰にも気づいてもらえなかった悲しみ。
自分を大切にしてもらえない悲しみ。
自分で自分を大切にしなかった悲しみ。
悲しみ。寂しさ。孤独。我慢。
苦しい感情は、なぜか怒りになる。
恨みになる。
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私が我慢すれば、お母さんは幸せ。だからいいの。
私は辛くてもいいの。みんなが幸せならいいの。
そう言って泣く子は多かった。
家族が幸せなら、私はいいの。
お母さんはその方がいいから、私はいいの。
でも、涙が出るってことは、
「つらいよ、もう限界だよ」って心が言ってる。
もう我慢するの、やめていいんだよ。
本当は、どうしたいの?
お母さんに、どうしてほしいの?
そう聞くと、
「ママにぎゅってしてほしい」
「ママに笑ってほしい」
「みんなで仲良くしたい」
そんな答えが返ってくる。
小さい子だけじゃなく、高校生も。
そっか、本当は、そう思ってたんだね。
我慢して、頑張ってたんだね。
悲しかったんだよね。
そう言葉にして気持ちを認めてあげると、たいてい、わっと涙があふれる。
心の底に、どんなに悲しい気持ちがあったか。
どれほど我慢していたか。
よく伝わってきた。
そして、悲しい事に、
我慢している子どもの親や家族は、たいていそれに全く気付いていなかった。
むしろ、子どもは喜んでいる、楽しんでいると思っている。
言葉にしてしまうと悲しいけど、子どもの独り相撲になっていて。
我慢する必要なんて、自分が犠牲になる必要なんて、最初からなかったんだ。
親に鈍感な要素があったとしても、だったら猶更だ。
「そうじゃないと、お母さんはこうなっちゃう」
そういって、子どもはこれからも我慢を続けるか悩んでいた。
子どもの中の、「こうしなきゃいけない」という頑固さなのかもしれない。
「こうなったらあの人は不幸」
「これが幸せで、私がこうしてあげないと、そうならない」
そんな価値観を握りしめているようだった。
私もそれ、わかる気がした。昔の私。
いつか、自分の幸せを追求することを自分に許せる日がくるといいな。
できるだけ、早く。
家族にわかってもらえない寂しさ。
家族のために我慢する苦しさ。
自分の幸せを追求できない悲しさ。
悲しみのうちに。
寂しさのうちに。
怒りになる前に。
とかしてあげたかった。