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私は涙が出るときに、その涙がでる理由の根本を考える癖があります。

この涙はなんの涙なのか

 

 

祖母が亡くなった当日は休みをいただき、翌日は出勤しました。

自転車をこいで会社に向かう中も、祖母のことを考えるとふと涙がにじむ状態でした。

 

 

これは何の涙だろう。

 

優しくされるとなんで涙がでるのか。

優しくされたことを思い出すとなんで涙がでるのか

 

 

 

悲しみは氷なのかもしれない

 

悲しみは氷のようなもの



私は、感情を口に出すときに大体いつも涙がでます。

相手を責めるような言葉を出すときや、辛いことを吐き出すときなどです。

怒ると涙がでるっていう、女の涙としては一番嫌がられるアレです、笑

でも止まらないんだよね。





辛いことがあって耐えてる最中はそんなに涙が出ないんですよね



でもそれを口に出すと、涙が止まらなくなる。



辛さは悲しみは氷のようなものかもしれない



辛いだったり悲しいだったりの気持ちが、心の中に氷として固まっていく。



それを口に出すときは、その氷を自分の手に取る



凍ってる氷が手の熱で溶けて、水になって涙になる



人の優しい言葉で涙がでるのはどうしてなのか、とよく考えてました





暖かい言葉を受けると、心に溜まっていた氷がその熱で溶けるのではないのかとふと思いました。





今までは自分に向けられた優しさが嬉しい涙なのか

悲しさの坩堝にいる自分がかわいそうで涙がでるのか

可愛そうな自分をわかってもらって嬉しいのか

自己愛の結果の涙なのかと思っていたのだけれども




辛さや悲しさは、心の中の氷のようなもんなのかもしれない、と

自転車をこぎながら思ったのでした。




人のやさしさに触れて暖かくされると涙がでるのは、つらかった部分が溶けるから?


悲しくて積もった部分がその熱で溶けるから?



だから辛かったり悲しかったりしたことは涙を出し切らないと、そのまま燻ることになる?



一度ぜんぶちゃんと溶かし切らないと、ふとした時に、拍子に、その氷に自分で触れて、熱で溶けて涙になる

 

 

 

というわけで、まだまだ氷は溶け切っていないようです。

 

 

 

 

しんどい時はよく寝るのが一番だとよくわかっているので、睡眠だけはよく取ろうと思います