祖母がなくなって数日経ちました。

通夜などはなく、火葬場での告別式だけです。

来週9日予定。

 

 

 

 

 

この日は結局、朝は仕事に行きました。

 

朝の時点で、祖母が病院から自宅に戻るのか

それとも火葬場にいって火葬に入るのかがわかりませんでした。

 

いくらなんでも火葬場はないよな?と思いつつも、コロナ禍ではそういう場合もあると聞いたことがあるようなないような?

でもばあちゃんコロナじゃないしな…と思いつつも

 

火葬される前に一度は顔を見たい、と思っていました

 

 

でも自宅に戻るのなら、仕事終わってから祖母宅に向かっても問題ありません。

 

 

気が緩むと涙が出そうになる中、仕事場に行きました

 

 

会社について、上司に「祖母が今朝亡くなりまして、」と報告します

 

上司には、ICUに入ったことや、延命はしないことにしたらしいことは伝えてありました。

前日の時点で「帰らなくていいの?」とも聞いてくれていました

「行っても会えるわけでもないので」と伝えていつも通り仕事をしました。

 

亡くなって…と言ったまではよかったのだけど

 

「病院から自宅に戻るのか火葬場に行くのかまだわからなくて

火葬場に行くなら一目見たいので早退してもいいですか」

 

って伝えてる時点で涙があふれてしまってダメだった

 

 

「いいから、来なくていいんだから帰りなよ」

 

って言ってもらっても

 

 

「でも別にやることないんですよ」

 

 

そう。そうやることはないのである

 

亡くなったのが祖母なので、葬儀のいろいろは当然その子供(つまり私の父)がやるのである

孫である私にやることはない

別に仕事を休む必要はないのである

 

 

「やることあるとかじゃないんだよ、そんな状態で仕事できないでしょ

 気持ちを整理するために休むんでいいんだよ」

 

 

って会社行って、お言葉に甘えて10分で退社しました

 

 

笑!

 

 

そのまま自宅帰ろうとも思ったのですが、祖母宅では電車で3駅です

 

少し考えて、近くの駅に自転車とめて祖母宅に向かいました

 

父にメッセージしたら、祖母は家に戻っているという話でした

 

 

自転車を駅近くの駐輪場に止めて、電車を待って電車を待ってる中でも、油断すると涙がにじみます。

コンビニでティッシュかって飲むヨーグルト買いました。

何か腹にいれた方がいい気がしたからです。

 

 

私は涙が出るときに、その涙がでる理由の根本を考える癖があります。

この涙はなんの涙なのか

 

ひとつは、前回も書いた「祖母とお茶飲めなかった」後悔

思い出すのは優しくされたことばかりです

そもそもおばあちゃんって、孫に厳しくすることないしね。

いとこの中で女は4人いますが、結婚してないのは私だけです

だから、祖母宅にいくと、結婚してないことを心配する言葉をよくかけてくれてました

「よく行ってるデイサービスの誰々さんがいい人なんだけど」とか、「大丈夫だよ、おばあちゃん、ありがとう」ってよく返してた(笑)

 

ここで大事なのはさ

 

結婚に口を出してくるときの動機なんだよな、って思います

 

叔母や親やその他会社の人が口に出す

「いい人いないの?」「結婚しないの?」はただの世間話やただの雑談なんですよね

ただの世間話であって、それ以上はない

共通の会話がないから話題の一つにしてるだけ

 

祖母は「よよ子は結婚しねぇのか」とは言ってくるけど、それを煩わしいと思ったことはありませんでした。

 

言葉の下の気持ちは相手に伝わるものです。

 

 

叔母さんとかに「結婚しないの」と言われると、なんだか疲労を感じるものでした

でも共通の会話がないから仕方ないのかな?

私も受け身で会話を積極的にしないのもよくないんだろうな

いや、でも親戚ぜんぶと仲良くは無理ゲよね

 

 

てことで、祖母はたぶん純粋に心配してくれてたんだよね

女一人で大丈夫かって。

心配してくれてるのが伝わってくるから、それを煩わしいと思うことはありませんでした

 

 

 

先があるから、コロナ禍でお茶も菓子も一緒に食べなかったけど、先がないなら部屋の中で離れて茶でも菓子でも食べたのにねぇ

 

たぶん、たまーに顔出してそれでお茶とお菓子食べるだけでも喜んでくれてたから

 

それを最後にできてなかったのが余計悲しいんだなと思います。

 

心配しててくれたなぁ、と思い出して涙がでてくる

 

 

 

祖母宅についたら、父と兄妹が葬儀屋と話をしてました

 

ばあちゃんは居間で横になってました。

 

 

手を合わせて、線香あげて、やっぱり涙はでる

 

(ああ、もう、おらんのか…)と思うと涙がでる

 

もう声をかけてくれることも、純粋に心配してくれることも、来たら出迎えてくれることも、なんもないんだなぁと思うと涙がでる

 

会うのも年4回程度で長い時間を一緒に過ごしたわけでもないのにね

 

 

ブログを書いてるだけでも涙がでる

 

 

ばあちゃんは9日までは自宅にいるようです。

 

9日に納棺して火葬です。

 

 

 

 

 

うちは父が長男なんだけど、実家からは出てて、妹さんが婿さん迎えて住んでるのですが

私から見たその叔母がさ

 

 

ばあちゃん見た後、よくわからんが、手を差し出してきたんですよね

 

挨拶するみたいに

 

そのまま手を出したままにするもんだから

なんだろう?って思って、その手にペシッと手のひらを合わせて

「ふふ、なにこれ?」って言ったら

 

「挨拶」ってそれだけ言って

 

なんだかわからないけど、涙が出てしまった。

 

 

わからないけど、たぶん、なんだか労いのような、慰めのような、そんなもんを感じたから。

 

 

 

 

ま。

 

 

もう一人いる叔母さんからは、ちょっと「圧」を感じるのだけどね(笑

たぶん、なんか良いと思われていない。ので、そっちの叔母さんは苦手です。

苦手なので避けます。ばあちゃんもいなくなったので、今後は余計疎遠になるでしょう。

そこの家は「陽気」のパリピー系なんだよね。

私はどっちかというと「陰気」なので、どうにも気後れして合わないのである。

叔母の旦那さんの方は、優しいんだけどね。