I Am That Am.
おはようございます。YOSHIKAです。
最近はホント急にポカポカ春の陽気となりました。皆様いかがお過ごしですか?
でもまだ2月なのに最高気温が20度前後なのはちょっとやばいですね。 また気温下がったりもするようなので、みなさん、三寒四温、体調管理気をつけましょう。
。。。さてさて先日お送りした、『神功皇后とかぐや姫と月と竹と。。。』Part 1 ですが,いかがでしたか?
神功皇后から始まっていろいろと広がって来てて、気がついたらかぐや姫まで出てきたわけですが、これはあくまでも私個人の趣向でお届けしているものなので、そういう観点でお読みいただければと思います。でも面白いことにこの間伊勢神宮で倭姫命に言われた「魂に刻まれた過去の記憶が少しずつ戻ってくる」ってなこともなんとなく起こり始めているようで、自分探究も同時進行で起こってる気がしています。
前回「かぐや姫のこの土地との繋がりを更に確信的なものにしてくれた」って言っちゃいましたが、私が思うところでは、かぐや姫のお話は、基本はやはりあくまでも“物語”だというふうにとらえています。もちろん完全なフィクションとはほど遠く、かぐや姫に求婚していた貴公子達が実在した人物として特定できたり、かぐや姫という名前も実際古事記の中には存在します。でもやはり、そのキャラクター設定などなど、誰かの人生をそのまま伝記のように書いたものとも異なります。(月に帰っていきますし。 )作者は弘法大師とかいろいろ説はあるようですがやはり不明とされていて、最初は漢文で書かれていたが、何度も手を加えられ、現在残っているのが原本ではなく、後光厳天皇の筆による万葉仮名で書かれた写本。。。ですよね。ですから今でも多くの小説などがそうであるように、現実に存在した人物や場所の情報をもじって、その当時の社会を投影し、社会批判などいろいろ皮肉りながら何人もの手で編集されながら作られたもの。。。ではないかという気がしています。
2012年には京田辺に『竹取翁博物館』も開館されたそうで、私はまだそちらは行けていないのですが、まだまだ沢山私の知らない資料があるんだろうと思います。それでも私がここ1.2週間で入手した情報だけでも京田辺という土地はやはりかぐや姫ゆかりの地である、っていうことは高い確率であるだろうな。。。と思うのです。
かぐや姫のお話で外せない部分というのが、最後かぐや姫が月へ帰ってしまう。。。という設定だと思うんですが、やはりこの京田辺という土地が“月”との関係がすごく深いんだなということが今回の訪問で分かったんですね。
。。。ということで、今日はその辺について私の京田辺での体験を含めながらお話しします。
京田辺の大住というところに月読神社はあるんですが、こちらはとにかく気持ちの良い空間で、鳥居の横には“隼人舞発祥の地”という石碑があります。
隼人舞、というのは私も神功皇后調べてて今回初めて知ったのですが、この土地に九州から移住してきた隼人族の舞のことで毎年10月14日に月読神社と天津神社で奉納されています。
私はまず、この隼人舞で使われている『隼人の楯』を見て驚きました。 これ、このブログでもご紹介しましたが、伏見稲荷敷地内にある伏見神寶神社のお守りと同じ柄なんですよ。(Wikiページの隼人の楯と見比べてください。)
隼人の楯 - Wikipedia
こちらは私の以前の投稿です。
補足2:ヤハウェ様のメッセージ エネルギーのお話 その1 | My Holy Trinity by YOSHIKA
そして伏見神寶神社もかぐや姫が5人の貴公子からいただいた贈り物などが残っているというような、かぐや姫ゆかりの神社なんですね。かぐや姫の絵馬など人気みたいです。
。。。と、ここまでは今回京田辺に行く前に入手していた情報で、私はもうそれだけでワクワクしてたんです。
もちろん今回の京田辺訪問は、神功皇后ゆかりの神社へ行くのが一番の目的で、月読神社はこの旅でなーんか以前より急激にご縁が深くなった感じなので、お参りしておこう、という感じではありました。
本来、月読神社と酒屋神社とあと神功皇后が三韓征伐の際に通過した跡地など2つまわって、1日で終わる予定だったんですけどね。結局3日かかってます。 思いがけない月読命のご縁と、あといろいろ神社仏閣巡りには関係ないトラブルとかもあったり、昨日2月24日に一応今回予定していた京田辺での神功皇后ゆかりの地巡りは無事終了しました。
今回の京田辺訪問に関係ないトラブル、っていうのは起こった時はもう一時はどうなることかとマジで真剣に悩まされたものだったんですが、おかげさまで奇跡的に一瞬のうちに解決しました。 (いろいろ全部入れていたお財布がなくなる→警察に紛失届を出す→絶望→2日後警察に届けられる!!まさに奇跡! )
これにはまたちょっと面白い不思議な出来事もありましたので、後日機会があればもう少しお伝えします。
。。。で、前回、月読神社の写真1枚お見せしましたが、とっても素敵な空間だったということはお伝えしましたよね。
境内の様子です。空気が澄み切った感じがしてて素敵でしょう?
でも今回、月読命とのご縁は大住の月読神社で終わらず、その後いろいろ導かれる様は、改めて月読命とのご縁を深く感じざるを得ない結果となったんです。
その流れで辿り着いたのが薪神社(たきぎじんじゃ) でした。
私は月読神社参拝後、グーグルマップで酒屋神社の場所を確認したんですけど、徒歩1時間ちょっとぐらいの距離だったので、いつものように歩いていくことにしたんです。歩き始めた頃からお天気が少し悪くなってきてまして、曇ってきて雨までぽつぽつと降りだしてました。「多分大丈夫だろう。。。」ってそれほど気にせず進んでました。すると、グーグルマップのナビとか、最短距離よりお勧めのルートが出てきたりすることありますよね。そんな感じで、どう見てもこっちのが近くて歩道もあるのに、違うルートが出てきてるんですよ。で、クローズアップしてそのルート上に何があるのかって見てみると、そこには途中に一休寺 があるではないですか!一休さんと言えば私が子供の頃一番好きだったアニメで、私は20年近くアメリカ生活を経ても尚、一休さんのアニメの最初と終わりの歌未だに全部歌える! っていうくらい好きだったんです。
以前温泉に来た時から京田辺に一休寺がある、ってことは知ってたんですが、その時はちょっと距離もあったし、諦めたんです。「機会があれば行きたいな~~~」って思ってた一休寺があるってことで、「出来れば寄りたい!時間あるかな~。。。」って思いながら進んでて、結局一休寺に着いたら日が暮れるまであんまり時間がなくなってまして。。。どうしようかと迷ってましたら、曇り空の合間から、ピカ〜って太陽の光が差し込んだんですよ。これって私にとって自然がくれるサインの一つで、YES とかGOサインの時パーフェクトなタイミングで来るものなんです。(パーフェクトなタイミング、っていうのがkeyです! 皆さんも気をつけてみてね。 )それもあって、結局「え~い、15分でお参りだけしよう!」って思って一休寺へ行くことにしました。
。。。結果、想像してた以上にものすご~く素敵でですね。。。 一休さんのお墓にも手を合わせ涙し、 方丈の一休像を見てまた涙し、 、方丈の建築デザインに感動し、 宝物殿の一休さんの書を見てまた感動し。。。結局1時間ははいたと思います。 私が京田辺に最初からご縁を感じたのも、私がここで引き止められたのも、倭姫命が言ってた私の魂に刻まれた記憶云々と何かしら関係があるんだろうと感じています。
中庭の様子。
この一休さん像は近鉄新田辺駅とJRの京田辺駅の前にも同じものが立ってます。
一休寺についてはちょっとご紹介,って思ってたら止まらなくなったのでまた改めますね。
。。。では、月読命の話にに戻りましょう。
またまた長くなりますが良かったらお付き合い下さい。
一休寺を出たのが確か16時少し前ぐらいだったように思います。酒屋神社はそこから更に徒歩で30分以上かかるので、急がなくちゃな、って思ってたんです。で,その時こちらがまた目に留まりました。
実は一休寺に向かう途中の住宅街を歩いている時、あるお宅が表札の横に『薪神社 氏子』っていうのを貼ってたんです。私はそれを見て、「自分達がこの神社の氏子である,ってことを表札の隣に貼る,ってことは自分達がその神社の氏子であることに誇りを持ってるからなんだろうな」って思ったんですね。そして一瞬薪神社ってどんな神社なのかな。。。ってね。でも先を急いでた私はそれに対しては何もせず。で、一休坂の上に薪神社がある,っていうの見てまた一瞬,「行ってみたいな」と思ったんですが、「いや今度こそ時間がない」って思ったその瞬間、またピカ〜って太陽の光が差し込んだんですよ。
ですから私は「なに?そっちも行けってこと?」ってなりまして、薪神社のこと何も知らないからその場でググってみたんです。
そしたらですね。この地にある甘南備山(かんなびやま) という雄山と雌山からなる山がありまして、そこは昔から神が降り立つ山と言われていて、甘南備神社 という薪神社の奥宮があるらしいのです。そして、その雄山と雌山の間に月読命が降り立ったと信じられており,月読命が降り立ち宿った石『影向石(ようこういし)』 が薪神社に祀られている、とあるではありませんか。
当然「これは行くしかない!」ってなりますよね。。。。ってことで早速一休坂を上って行ったんですが、坂はなんてことない2,30メートルぐらいで、薪神社もその先にすぐ現れました。
薪神社ですが、感じとしては地域に根付いた感じの良い小さな神社、っていう感じで、神社の隣というか境内の延長上に公園があり、小学生ぐらいの子達がキャッキャキャッキャと遊んでました。
まずは本殿を参拝しようと進んで行きますと、本殿の中に祈祷を終えられ片付けをしていた宮司さんがいらっしゃいましてね。私に気がついてお声がけくださったんです。「一休寺行ってきた?」って。で、私は「はい。今行ってきて、お参りした後薪神社が気になって調べたら月読命をお祭りしてることを知りまして。。。」って答えると、「月読命興味あるの?」って感じでご親切にもいろんなことを教えてくださったんです。
宮司さんのお話は主にこの地に昔九州から移住してきたであろう隼人 の人々についてで、宮司さんご自身はこの土地の出身ではないらしいのですが、6年ほど前から薪神社と奥宮の甘南備神社の宮司も兼ねてやっていらっしゃるそう。そしてこの神社を、隼人の人々が伝えてきた隼人舞より前の形、能楽の元になったものが伝わった地、『能楽発祥の地』 として、毎年、能を奉納してらっしゃるそうです。隼人舞についてや使われてる隼人の鉾についても伺ったのですが、時を経て、隼人舞の形も変わってきたらしく、元々はもっと荒々しく原住民のような踊りだったらしいということを九州の隼人の方から聞いたと仰ってました。感じとしてはラグビーのハカってありますよね。あんな感じなんだそうですよ。隼人の鉾については、平城京の井戸の壁の部分に使われていたのが見つかり,それが隼人のものだった、ということです。多分ここまではお伝えしてもいいと思うんですけど、その他にも九州以前の隼人の起源、それが大陸からであるだろうことや、京田辺の地名や神社の名前などもやはり九州のものがよく見られることなど、後、地名や名前にある"筒"とこの土地の"竹"との繋がりなどにも触れてました。隼人の鉾のデザインの意味も隼人族の歴史からの宮司さんの解釈を教えて下さいました。
私からの質問にも快く答えてくださいまして、本当に興味深いお話を沢山お聞かせ下さいました。
やはり隼人の人々の月神信仰の現れか、鳥居が十五夜奈良満月の時、丁度月が鳥居の真ん中に来るように建てられているんだそうで、綺麗な満月が真ん中に写ってる写真も見せて下さいました。大住の月読神社も甘南備山の月読命をお祭りしていて、鳥居もやはり同じように方向を考えて建てられているそうです。
一休寺には隼人族の祖先の方々のお墓が沢山あるらしいです。そしてこの地域で見つかっている古墳はやはり隼人族の特徴が出ている横穴式なんだそうです。
お話を聞いていて宮司さんがこの地域の隼人の末裔の方々を大切にしてらっしゃるのがとても伝わってきましたし、またこの地に住む隼人に関係する方々が、氏子であることに誇りを持ち薪神社を大切にする気持ちも理解できたような気がします。こういう関係って素敵ですね。
薪神社の本殿です。
月読命が降臨したという影向石。
もともとは甘南備山の山頂にあったんだとか。
『能楽発祥の地』の石碑
「能楽は薪能即ち金春能に始まり、次に宝生能 観世能は大住に、金剛能は大和に発祥した。昭和61年11月 文学博士志賀剛」との碑文が刻まれています。
いろいろなところで能の活動など紹介されてます。
ここの新聞の記事にはやはり京田辺がかぐや姫ゆかりの地である、ってことも触れられてるんですが、宮司さんご自身は、まだその辺は自分は何とも言えない、っておっしゃってました。神功皇后とのつながりについても全くふれることはなかったのですが、私は見逃しませんでしたよ!
ご覧ください。
薪神社自体は1907年(明治40年)にそれまであった甘南備神社の遥拝所として建立されていたという天神社(あまつかみのやしろ) と一休寺の地主神であった八幡社を合祀したもので,それほど古くはないんですが、このため薪神社の御祭神はそれぞれの祭神であった天津彦根命 と応神天皇 となっています。
したがって本殿の真ん中に、天津彦根命が祀られ、向かって左手に八幡社の応神天皇、そして、右手には末社の武内神社 、ご祭神はなんと神功皇后を含め、他天皇を5代にわたって仕えたといわれ、300歳以上生きた(ことになる)という武内宿禰 なのです。
一休寺の地主神が八幡社というところなど、まさに神功皇后の一族がこの土地に関係していたと考えられますし、武内宿禰がご祭神の神社っていうのは更にそう考えられます。かぐや姫について調べておられる方々の中には、この武内宿禰の名前の武が竹とも書けるため、そのつながりを指摘されている方も何人かおられました。
ね、こんな風にやはりぽこぽこと神功皇后のエネルギーはいろんなところに出没してくるわけです。
あと最後にもう一つ、これは本当にエンタメ程度に聞いていただければいいことなんですが、竹とかぐや姫と月、っていうつながりで軽く聞いていただければと思います。
今回、神功皇后、かぐや姫、月、竹。。。と調べていて、7月7日が竹、タケノコの日、で、同時に竹取物語のかぐや姫の誕生日、とも言われている、ということを知りました。
この7という数字。。。。実はですね。伊勢神宮の内宮の月読宮にお参りした時、そこの月讀尊が「ツクヨミの数字は7!」っておっしゃってたんです。 月→ツキ→ついてるからラッキー7の7?ってことなんだと思うんですが、あまりにもベタなんで誰にも言ってなかったんですよ。 でも「あ~たぶんそれはそうなんだろうな~ 」って思ったのは、月読宮を後にした直後、目にした車のナンバープレートが777だったんです。笑っちゃいましたけど。 この旅を始めてからも特に最近7,777,7777をよく見るな~なんて思ってはいたんですけどね。それと比例するかのように月読命からのメッセージをよくいただくようになってたので間違いじゃないんだろう。。。って。 単にツイている、運気が上がってるっていうよりも、月読命のご加護やエネルギーが届いているっていうサインになってると思います。でも、この竹の日、かぐや姫の誕生日が7月7日って知って、やっぱりそうだったんだな。。。と思いました。たぶん、この投稿を読むという機会がある方は、月読命のご加護やエネルギーを数字の7と紐づけて感じることができる方々なのではと思います。ちょっと気にしてみてくださいね。
。。。本当に今回は長くなりました。最後までお読みいただけたかた、ありがとうございます!
それにしても、ホント面白くて、わかった情報などを繋いでいって、もしそれを図にしていたら複雑なマインドマップみたいなのが出来そうです。 (実際使って行っても面白いかもですね。まとめるのが大変そうですが。。。 )
今回の京田辺訪問のメインの部分はお伝え出来たかと思いますが、あとは酒屋神社のこととか、甘南備山に登ってきたこととか、一休寺のこととか、他の神功皇后のゆかりの地のこととか。。。についてお伝えしようと思います。
最後にもう一度、お名前はお伺いしなかったのですが、今回いろいろと貴重なお話をしてくださった薪神社の宮司さん、心からの感謝とともに能楽や地域活性の活動等、今後のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました!
許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!
そして私は決断する!!
それではまた〜
YOSHIKA