永遠の謎だった出エジプト記の聖句、。

 

超新未来神学 

題「血の花婿」2024年最新版

 

副題は「チッポラの真実の愛」です。

 

 

永遠の謎と言われている聖書聖句です。

今日、その真実をお話します。

 

 

 

以前関連した記事は書いていましたけど、

 

中心的な事は書いていませんでした。

 

私も10年ぐらいは不明だった事が有ったのです。

 

 

 

他のいろんな方の解説も見たり読んだりしましたけど、

納得する言説はありませんでした。

みなさんも同様でしょう?

納得できた説教はありましたか?

 

今までの説教者には悪いけど、無いと思います。

訳の分からない解説ばかりです。

こんな事を言ってごめんなさい。

 

でも仕方ありません。約3千年も不明だったものを

そうは簡単に解るはずがありませんから。

 

 

 

秘密が解かれました。

 

この恵みを皆さんと分かち合いましょう。

 

祈り・・略、。

 

さぁ、始めます!

 

まず、その聖書部分を読んでみましょう。

 

出エジプト記/ 4章 24節 ~26節
さて、(エジプトへ帰る)その途中、宿泊地でのことで

あった。主はモーセと出会い、彼を殺そうとした。

ツィポラは火打ち石を取って、

その息子(ゲルショム?またはエリエゼル?)

の包皮を切り、

それをモーセの両足に付けて言った。


「私にとってあなたは血の花婿です。」

すると主はモーセを放された。

 

彼女はその時、割礼のゆえに

「血の花婿」

と言ったのである。

 

以上聖書。

 

ミディアンの祭司エトロの娘、

ツィポラ。

 

上記の聖文の意味がいまだに不明です。

 

昔から一応の解説や解釈はありますけれど、

誰もを納得させる明確な解説はありません。

 

一番不可解なのは、?

 

血の花婿とはどんな意味なのでしょう?

 

未だに解明されていません。

 

それから、この聖書ヵ所で他に謎があります。

 

なぜ主は彼を殺そうとしたのか?

 

なぜツィポラは息子の包皮をモーセの両足に付けたのか?

 

今までの解説を書いておきます。

 

最古のユダヤ・ラビの見解では、

モーセが息子(ゲルショム)の割礼を怠っていた、

その責任のため

モーセを殺そうとした。

 

中世フランスのラビ、

シュロモ・イッチャキはゲルショムでは無く、

次男のエリエゼルが対象だったと述べた。

 

私の見解は、息子という名詞は単数形ですけど、広い意味での息子という意味なら二人でも三人でも良い。

 

だから割礼の必要性は二人の息子が対象だったと思う。

しかも、

モーセの両足にと書かれているので、足は二本だから、

二つの包皮が必要です。なので

息子二人とも割礼したのです。

 

割礼は神様とアブラハムの契約があるから絶対です。

創世記/ 17章 10節
私とあなたがた、およびあなたに続く子孫との間で守るべき契約はこれである。
すなわち、あなたがたのうちの男子は皆、割礼を受けなければならない。

 

男子なら全員が対象なのですよ。

 

割礼の契約を守らないなら死です。

 

本来、割礼は生後8日めに親または親族他祭司等がします。

 

赤子が自分では割礼できないので責任は親です。

 

いつまでも子に割礼をしてなかったのだから、

モーセを神さまは、

殺そうとしたのですね。

 

しかし、とっさに妻のツィポラが息子に割礼をしたので

神様はモーセを放しました。

 

ツィポラはミディアムの祭司エトロの娘でしたから、

割礼の儀式とその意味を知っていたのです。

 

ミディアムとモーセの関係は後で話します。

 

「割礼のゆえに」という聖句の意味は?

ミディアンの祭司エトロは割礼の儀式を行っていたのです。

私らの一族(ミディアン人及びエトロ一族)もアブラハム

以来の割礼を

行って来たという意味です。

実際ツィポラの行動でそれが実証されています。

ミディアンとエジプトの位置関係はこの地図でわかります。

 

その後、血の花婿とチッポラが言った事。

 

これは割礼とは別の話です。

 

割礼の話とチッポラが血の花婿と言った事は

別々の話なのですよ。

 

モーセ5書はモーセが著者だとされています。

 

しかし、別に編集した記者がいたと思います。

 

それで、モーセの息子の割礼の話と

血の花婿の話が関連あるとしてひとつにしたのです。

 

二つのお話をミックスしているので、後年に

そのままで読むと何がなんだかわかりません。

 

それで今まで不明瞭な解説しかでてこなかったのです。

 

解明するには、ふたつを分けて考える事です。

 

ひとつだと思って考えても永遠にわかりません。

 

 

それで、血の花婿の意味ですが、、。

 

その前にチッポラの事。

 

チッポラとモーセが出会ったのは、と或る井戸に

チッポラとその姉妹6人で羊たちに水を飲ませていた場面で、他の一族の羊飼いたちが来てチッポラたちを井戸から追い散らそうとしていた。そこにモーセが来てチッポラたちを

助けたのです。

 

井戸の出会いはヤコブとレア、と、ラケルの故事に似ていますね。

 

古代では井戸が出会いの場?だったのでしょうか?

フフ、それは皆さまの想像にお任せします。

 

でも、、まぁ考えたら古代では出会いって、日常では

中々無かったのではないかな、。未婚の女性は水汲み以外は

ほぼ家にいました。

 

それが縁でモーセはチッポラの家に入り、働き、

後、チッポラの父ミディアンの祭司エトロからチッポラを

嫁としていただいた。

 

二人はこんな感じだったのかな、、。

 

当時、家長が承諾しないと娘は絶対に結婚できません、。

 

父エトロはミディアンの名のごとくで、アブラハムは

妻サラが死んだ後、ケトラを妻に迎えていました。

 

ミディアンはケトラが

産んだ子のひとりです。

 

エトロはそのミディアン人の子孫です。

 

モーセはアブラハムの孫ヤコブ(後のイスラエル)の子供たちの中の一人レビの子孫です。

 

ですから、エテロとモーセは全くの異民族ではなく、

血筋では双方アブラハムの子孫ということになります。

 

ミディアンの祭司エトロですが、多くの富をもつその地で

有力な一族の長だった。

 

そんな人物が自分の娘をどこの誰かもわからない男性に

嫁がせるわけがありません。

 

エトロはモーセにいろんな事を聞いたはずです。

 

父は誰?とか、先祖は誰?とか、

どうやって育った?とか。

 

それで、モーセになら自分の娘チッポラを嫁がせても

良いと納得したのです。

 

で、、血の花婿の事。

 

これは血筋の事なのです。

 

学者は文面通り液体の血液を中心に考えているので、

いつまでたっても

この意味がわかりません。

 

もう何千年も、、。

 

今までの解説の例を挙げておきます。

 

①ある教会牧師は、私たち教会の花婿である

キリストを指差していると解説。

 

美しい解説ですけど、この場合はモーセを対象にチッポラが

言っているわけで、イエスさまの事まで拡大しすぎですからこの解説は不適当と評価します。

 

②ある教団の聖書部はこう解説しています。

「血の花婿」という表現は、チッポラの目に、割礼が、彼女の夫モーセが死の判決の下にあるのを意味したことを暗示している、と。

 

何か曖昧な解説です。割礼の件は別のお話だと言う事を

知らないからこんな解説になっています。

だからこれも不適当と私は評価します。

 

③別のある教会牧師は驚くべき事を言っていました。

モーセは割礼を受けていなかった、夫婦になったチッポラは

それを知る事ができた。加えて赤子の時エジプトで育ったから割礼を受けていないと、。それで神様がモーセを殺しに来た時息子の包皮を切り取ってモーセの股間につけた。(ユダヤでは足は陰部を暗喩的に指す事があるから股間)から、

それで血の花婿と叫んだ、のだと、。

 

③の解説は出鱈目です。まずもって血の花婿の意味を明確に言っておりません。そして、モーセが無割礼ならモーセを割礼すれば事たりるのです。だからこの解説は評価以前の問題です。

更に言いますと、モーセが川に流されそこでエジプトに王女に助けられた時モーセは既に生後三か月たっていましたので、既に割礼はしていたのです。しかもモーセを拾い助けた王女はモーセをヘブライの赤子だと認識していました。

 

もっと言うなら、エジプトでも割礼はなされていました。

証拠はエジプトのミイラや壁画にあります。

 

この仙台の教会牧師の説には私ちょっと怒りさえ覚えました。

 

他にも他教会で解説がありますけど、、読むに値しないのでこれ以上紹介しません。

 

 

答えは、血筋、、です。

 

神様との契約内に有る血統といっても良いです。

 

エトロの血筋とモーセの血筋はアブラハムに

遡れる共通の血筋だったので、

 

チッポラ側からすればモーセは私の一族(エトロ家)の

血筋にふさわしい

花婿(夫)である!と言っていたのです。

 

チッポラは自分もモーセも神様の契約の内にある血筋だと

いう事を言っていたのです。

 

アブラハムの子イサクも親族の娘リベカを妻に迎えました、

イサクの子ヤコブも親族のラバンの娘、レアとラケルを

妻に迎えました。

 

親族から妻を迎える、または親族の男子に娘を嫁がせるのが

ある種の慣習(掟)だったのですね!

 

出エジプト記に後の聖句でモーセの姉ミディアムと兄アロンがクシュ人とモーセが結婚した事を批判しています。

この場合のクシュ人とはチッポラを指しています。

 

クシュ人は現代のエチオピア人を指すとされていますが、

一概に全部そうだとは限らないです。アラビア人も含まれるのです。

 

まぁどちらでも良いのですが、、もしチッポラがモーセに

ふさわしく無い女性だったとしたら、アロンとミディアムが

二人の結婚を批判した時、神様が二人を別けたでしょう。

 

実際は結婚を批判したミディアムが罰を受けましたから、

神様はモーセとチッポラの結婚を良しとしたのです。

 

あなたモーセと私チッポラは、

神様に於いて、二人の血筋は一体になっても善しとされる家系なのだから、

私チッポラは

あなたモーセと

絶対に離れない!との

宣言で

「血の花婿」

と言ったのです!

 

 

それはいわば、永遠の愛の誓いです。

 

ん!

みなさま、わかりました?

 

ええ、そうです!。

チッポラはモーセに永遠の愛の誓いを

言っていたのです、、。

 

この記事を読んだ方おめでとう!

 

永遠の謎の聖句、、本日解けましたね、、。

 

もう少しお話しましょうかね。フフ

 

チッポラは、と或る井戸で思いがけず

モーセと初対面しました。

 

そこで他族の羊飼いから井戸水の件での

いじめから

モーセに助けられた。

その時からモーセに好意を持っていて、

結婚した時には、いや結婚前から

モーセと永遠の絆を結ぶ

覚悟をしていたのです。

 

何がなんでも添い続ける、と。

 

 

 

モーセの姉ミディアンや兄アロンがどんなに反対しようが、そんな事で、

モーセとの愛は断ち切られ無い!

 

チッポラは自分の愛に素直に従順だったのです。

 

チッポラは神様が割礼の不従順ゆえにモーセを殺しに来た時

夫モーセを殺すなら、私を代わりに殺せという鬼気迫る行動

だったのですよ。

8日めに子に割礼をしてないのでモーセは有罪です。

でも、夫を守るための妻チッポラの凄まじい行動に

神様は哀れんだのです。

 

それほど、(自分を犠牲にしてでも)

モーセを愛しているのか?と、。

 

その愛が真実の愛だったのだから、、。

 

それ、、解れば、誰であっても涙するでしょう、?!。

 

 

愛は死を超える、、チッポラによってそれが

実証されました。

 

 

続編があります。続けてごらんください。

こちらも世界初の事も、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

永遠の愛が大切です。

 

真実の愛は純愛と言い換えても良いのかな、、。