昨年の今日、わたしの50年来の友と逢った帰り
途中の映画館で『せかいのおきく』を観てきました
このお話で演じた
おきくの父親役の佐藤浩市さんと、おきくに寄り添う中次役の寛一郎さんは
本当の親子なんですね!
さらには佐藤浩市さんの父親は三国廉太郎さんで
親子三代で同じ仕事に就いているのですね!
さらには今回のように一つの作品での共演と言うこともあるのです
もちろんこういうことは歌舞伎の名門だとか
芸能面ではなくても老舗のご商売だったりすると
家業を継ぐという形で、親子何代も同じお仕事ということはそれなりにあります
技能と言うことでなくても
(同族会社の)社長の子供が、次期社長になることも多いでしょう
親からの遺伝による基本能力の獲得だとか
幼少期からの環境による能力の向上により
他の家に生まれた子よりは必要な能力を獲得できている可能性は高いとは思います
ただ可能性が高いだけであって
”必ず高い能力を持っているか?”というと
それは必ずしもそうではないと思います
それでも
わたしは(そうではなかったから)親と同じ仕事を一緒にやれる
ということには、あこがれというか
やっている人をうらやましく思ったりします(^O^;)
わたしの父は油絵の肖像画を描いて、私達を養ってくれたのですが
わたしはそちらの才能はぜんぜん引き継いではいなくて
趣味のようなことも重ならない、と言うよりそんな余裕はなかったですね(^O^;)
それでも父が亡くなった時
喪主の母に代わって、わたしが遺族代表のご挨拶をさせていただいたのですが
その中で「父とはぜんぜん別のお仕事ですが、職人の心は引き継ぎました」と
お話しさせていただきました
そして、最初の会社で直談判したことのある本部長に
この父のお仕事をお話しした時に、本部長から
「それでコンピュータというキャンバスに、システムという絵を描いているのか」と
言われて、とってもうれしかったのを今でも覚えています
この父とは”実父疑惑?”があるのです!
ある時に聞いた両親の血液型では、わたしの血液型にはならないのです
両親共手術経験があるので、その時の血液型を知れば正確なところが分かるのですが
確認していないので、両親の血液型の信ぴょう性を含めて
実際のところは、ようわかりませ~ん(^O^;)
でも小さい頃から
わたしは父親似と言われ続けてきましたし
※女性装し出してからは鏡の中に母を見ることがあって、やはり二親から生まれてくるんだな、と思いました
それよりも前の記事で書いたように
育ててもらったのはこの父と母なのは、わたし自身が一番知っていることなので
そのことで悩むことは微塵もありません(^O^)
その父との、覚えている唯一の共同作業が
わたしの三代目のバイオレットワゴン改が10万kmを超えた時に
シルバーグレーからZイエローに全塗装したのですが
その時にサイドにアクセント・ラインを入れたのです
わたしではうまく入れられないそのライン入れを手伝ってもらいました(^O^)
逆に、わたしのこども達との共同作業は?と言うと
すぐに思いつくのは
こども達が幼稚園の頃から、「勝手にRLE」で家を出ていた間も含めて
それぞれが家を出るまで続いた
毎年5月から10月の半年間月一でやっていた庭の草刈りかな(^O^)
特に下の子とは
他のタイミングではあまりお話しできなかったのが
草刈りの合間の休憩の時にいろいろなお話が出来ました(^O^)/
こども達には”大学四年間の素敵な時間”を過ごしてもらいたいと
どの大学、どの学部なんていうのは一切言ったことはないですが
”大学には行ってほしいなぁ~”とは、小さい頃から言ってきました
そしてもちろん”どういう処に勤めろ!”なんてことも言わなかったのですが
(特に下の子の時は)これで本当に良かったのかと、悶々としながらも・・・
それでも二人のこども達は
「お父さんのケースは全然参考にならないから!」と言いながら
それぞれ自分で決めて、巣立っていきました(^O^)