”父親を名乗るおっさん2人と私が暮らした3ヶ月について” | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

わたしは過去にも

  『八日目の蝉』『M!DNIGHT SWAN』『この子はこの子でしかない』等々親子の話を

  観たりした時だったり

  家族と言うか子供のことを考えたりした時に

  ”親とは”というか”親になる”ということを考えたり、そのことを書いてきました

 

これまでもわたしは

  ”子供を産んだから、産ませたから、親になる”のではなく

  ”子供を育てたから、育てさせてもらったから、親になる”のだと思っています

多くの場合は

  子供が生まれる様な行為をした男女が、そのままその子を育てるのですが

  必ずしもそうでなくてもよいのかもしれません

  場合によっては、そうでない方が良いケースだってあるのだと思います

 

女の人は俗に十月十日の間自らの体内で命を育むのですが

  その間に母になるのだと言われます

  確かに重みを感じ、胎動を感じることで

  より実感として”母親になる”ということを意識するのだと思います

そして男の人はこどもがこの世に生を受けてから

  子育てを通して、始めて親になっていくのだと思います

 

それでもたまにニュースで知ることになる

  子供それも乳幼児の、親からの虐待死

  とっても辛く悲しいのですが

  その時その親、いや親とは言えないですね!

  その死なせた人はどういう感情に覆われているのか???

  どうしてもわかりません・・・

 

そういうことも含めて考えると

  生みの親が育てられない子が居て

  子を育てたいと思っているペアが居たとしたら

  たとえそのペアが子をなせないとしても

  そこに”伝統的家族観”なんてものは持ち出す必要もなく

  唯一の基準で審査して、それに通るのなら

  親になってもらってもいいのだろうな、と思っています

  子育てしていけば、本当の親になるのだから・・・

 

逆に、孕ませた男であっても

  ”金を稼いでくるから”と

  子育てに参加しない人は(法律的には知らんが)親ではないと思います

 

いろいろな作品で親と子の関係性を描いたお話が出てきます

  その時、だれが「子育て」したか?という軸で親子を追いかければ

  誰と誰が本当に親子なのか、わたし的には納得していけます(^O^)

 

トランスジェンダーのわたしですが

  ちょっと前だと、結婚するなんて、ましてや子供がいるなんて

  ”(GIDの)ニセモノだぁ~!”とか言われたものですが

  (特に私の世代だと性同一性障害に関する情報に触れることもなかったせいもあるけれど)

  人様より二回りもの周回遅れで

  縁とタイミングがあって ・・・今が20代ならば女性との結婚はしていないでしょう!

  自分で子を産むことこそできなかったものの

  子育てはしっかりとさせてもらいました

 

子育てにあたっては

  ”親になろうとはしましたが、父親になろうとはしませんでした”

  それでも、わたしがトランスしても

  わたしはこども達の”お父さん”です

  あくまでもお母さんは彼女(元奥さん)

  そのことはこども達にも伝えています(^O^)

 

親になれば素敵な楽しいことばかりでなく

  心配事もたくさんありますが

  それでも子の心配は親の特権

これからも

  ウザがられても

  子に心配される歳になっても

  生の絶えるときまで子の心配はしていくのだろうな、と思っています