【冠婚葬祭編】冠の巻 成人式 大人になる | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

先週末に【冠婚葬祭編】葬の巻「わたしの葬儀」を書いたので

  その続きでの”冠の巻”「成人式 大人になる」です

 

今は成人式ではなく「はたちの集い」とか言って

  毎年一月の第二月曜日の三連休(土日休みの人は)になりましたが

  (もう半世紀も昔ですが)わたしの頃は、1月15日と決まった日でした

当然わたしの生まれ育った地でも

  市民会館に集まっての成人式は開催されていたのですが

  わたしは、それには参加しませんでした(^O^;)

それは

  わたしが(70年)安保の闘志として、何らかの社会的に訴えたいことがあって、とか

  逆に、なんかメンド~、かったるいなぁ~~、とかではなく

  当時毎年開催されていた(東京)農大ラリー参戦のためでした

 

わたしは、大学に入ってクラブ活動を選ぶ時

  純粋スポーツ系のクラブはとってもではないけれど付いていけないし

  文科系のクラブも興味を惹かれるものもなく

  そして学部選考も理系から文系に変更したこともあって

  どこかでおもちゃ(メカ)をいじりたい気持ちの発露として

  一応スポーツ系ではあるものの自動車部に入部していました

    ※全国の大学自動車部の一部は文科系の所もありますが

      多くはスポーツ系に属しています

その(内の)自動車部では、部長先生とは別に

  その頃は、”おやじさん”と言われていた監督さんが未だいらして

  その方が検査主任者の資格を持っていて

  大学の車を保守するための整備工場を運用している形を大学が残していてくれたので

  わたし達はその下で作業しているということで

  部車の整備は自分らでして、車検も通していました

    ==>この環境を生かして、後に二級ガソリン自動車整備士の資格まで取りました

        そしてこの時に培った自動車部品の知識は、お仕事にも貢献しました

 

そして対外活動としては主に

  全自連(全日本学生自動車連盟)や神自連(神奈川県学生自動車連盟)

  それに各大学自動車部が開くラリー大会に参戦していました

当時の学生ラリーは、ほとんどが定員制のタイムラリーであり

  スピードを競うSS区間なんていうのも

  学生ラリーで公道閉鎖なんて出来るはずもなく・・・それでも警察への開催届けは必要

  当時はほとんどありませんでした

      ※ちなみにタイムラリーのルールは

        スタートからゴールまでのルート地図が渡されるのではなく

        コマ地図と言われる分岐点が描かれている交差点地図を辿って

        速度変更ポイント毎に指示速を変え・・・この区間の所要時間を積み上げる

        チェックポイント毎の所要時間誤差(多くは1分1点)を集計して

        より減点の少ないチームの勝ちとなります

       それで、神奈川県内であれば(当時は)

        スタート前に渡されたコマ地図を見れば

        大体全体の3/4くらいのコースは思い描けていました(^O^)

 

大部話がそれてしまいましたが(^O^;)

  この市の成人式を蹴飛ばして参加した農大ラリー

  二人でと言うわけではありませんでしたが、想い人と共に徹夜で戦ったラリー

  そこで二位と同点秒差負けの三位という成績で

  初めての入賞を果たしました(^O^)/

  思い出に残る、とっても素敵な成人式の日でした

 

わたしの成人式はこんなでしたし

  まだ学生と言うこともあって

  その時は正直”大人になった”という感慨は、ぜんぜんありませんでした(^O^;)

 

それでは、いつ”大人になったなぁ~”と感じたか? というと

  社会に出て(会社に入って)5~6年目

  (いつでも組織の上長はいたものの)

  実際の仕事は実質的にはすべて自分でどうやるかは決めて

  わたしのシステムを産み出したころかな、と思います

    ※結局は、このシステムを育み、育てて、40数年

      このシステムをやり続けるために、会社を二回代わり

      いつしか天職と思うようになりました

  それまでも、二年目からは(上長&先輩の集団脱藩があったりして)実質一人で

    三年目に静岡に転勤してからは、仕事そのものは完全に独り立ちして

    さらにその一年半後には全くの一人で仕事すべてをこなすようになりました

    ほぼ半世紀、(二回転職はしたものの)途切れることなく会社に属しているのに

    ”組織人らしくないわたし”という形が出来始めた時なんだろうと思います(^O^)

  それから10年

    いつまでこんなに仕事に追い回されるんだろうと思いながらも

    仕事を遊び、楽しんでいったと思います

 

  良くも悪くも、自分の仕事を見出し

    社会の中で自分の居場所の形を創り出したかな、と感じた時に

    あ~ぁ、自分もやっと大人になれたのかなぁ~~と思えたのだろうと

    その時のことを思い出します(^O^)

    社会での自立ですね!

 

 

そんな4年前の今日は

  「わたしと女の子との交流記」に登場したショップの娘から

  お土産のリップをいただいた日でした(^O^)/

 

※記事本文中の青太字部分には、元記事のリンクが埋め込んであります

 

 

 

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