2023..”「ポツンと一軒家」は廃墟でした(-_-;)” | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

わたしのある時期、30代のほぼすべての期間で

  家や家族(とは言っても当時は親と離れての独身一人住まい)

  それから会社や地域といったしがらみから離れて

  まったくの個としてのわたしが

  利害関係のない年齢も性別や役職等社会の地位なども関係なく

  いろいろな人が集っていた「山小屋を造ろう会」に交ぜていただいていました(^O^)

 

わたしが参加しだした頃には、わたしが一番若いくらいでしたが

  参加していた方々には、ご学友だった方がいらしたり

  大きな会社の役員だったり、大学教授に弁護士さんらもいましたが

  もちろん多くはわたしのような一般的な社員、職員に教員でした

  それで学生さんは一人もいなくて、皆さん社会人でした

  要は大人の会だったのですね

 

このわたしの30代というのは

  社会的には、20代後半でわたしが産んだシステムを

  育み、育て、そして社内外で評価されだした時期でした(^O^)

そして25歳くらいの時に

  仕事というものを通して、自分を社会に位置付けられて

  やっと自分も大人になれたのかな、と思ったのですが

  それをさらに人間的に膨らませてくれたのが

  この「山小屋を造ろう会」だったのです

 

可愛がっていただいた方々は

  いろいろな意味でわたしの知らない、経験したことのない世界も知っていたりして

  いろいろなことを有形無形に教えていただき、影響を受けました(^O^)

そうした中には

  高級レストランでのディナー(初)体験だとか

  当時出たばかりのショルダーホン(携帯電話の前身です)の実機体験に

  天皇陛下の私的ご様子のお話し等々

  通常ではなかなか経験できないことも経験させていただきました

でもそれ以上に、みなさんと触れ合うことで

  人としてどう生きるのかを示唆してもらった

  と感じています

 

参加していた方々は、社会的な地位や所属とは別に

  多くの方が私的な部分でも、それなりの活動していた方が多かったのです

ボスからして、本業はエンジニアで経営者ですが

  日本の山々はもちろんのこと海外の高峰にも多く登られている方で

  やはり参加されれている方には、山やさんが多かったのです

  そんな関係でか、山の雑誌に寄稿している方も多くて

  リブログした元記事のさらにそこで紹介していた元記事での方や

  その記事で紹介されていた日航機事故で亡くなった方も寄稿していました

みなさん公私両面で活躍されていた方が多かったのですよね

  わたしも公の部分でしかないですが

  当時はたまに「工場管理」という雑誌に寄稿させていただいていて

  単に社内と言うのだけではなく、社会的にも認知されだしていった時期でした

そしてそうした積み重ねで

  自分で自分を、評価できだしていった頃でもありました(^O^)

 

(わたしが結婚する前の)この10年間は本当にいろいろな意味で

  公私両面に渡って、わたしの成長がなされた時なのかな、と思っています

 

今は亡くなった方もいらして

  お付き合いの継続している方はお二人しかいませんが

  今でもなにかと気にしていてくださって

  とっても感謝です<m(__)m>