お風呂に関するエトセトラ わたしとお風呂 その五 家族編 | わたしの夢はどこに・・・

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私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

お風呂シリーズも、もう五回

  と言うわけで取り敢えずはこれで一区切りとしますが

  最後はやっぱり家族編(^O^;)

 

過去記事でも何回か書いていますが

  わたしは現役SEだったにも関わらず

  週五、少なくとも週四は子供達と、というかお夕食を家族と共にいただいていました

お夕食を食べるということは

  その後のお風呂は、出産直後の頭が座っていない時は別として

  幼児の頃から、わたしがこども達とお風呂に入っていました

  食事の後は、お母さんが食後の片づけをして、お風呂に入って、ゆっくりとしてから

  二階にあがってくるまでの読み聞かせの時間

 

そんなお風呂だったのですが

  いつしか時が流れ

  上の子が四年生の頃、お風呂に入りながらこう言われたのです

  「まだ一緒にお風呂に入ってあげるけど、外で言っちゃダメだよ!」と(^O^;)

  それで、その後少しずつ理由を付けてはお風呂に入る時間をずらして

  一緒に入るのを減らしていったのです

でもそれが、十年ほど経って

  わたしがトランスすることで

  なんとまた一緒にお風呂に入るようになりました(^O^)

  「外で言っちゃダメだよ!」と言われた時には

  寂しくもあり、成長にうれしくもあって

  これで一緒に入ることも、もうなくなるんだな~と思ったのに・・・

 

彼女(元奥さん)とは結婚していた頃も

  一緒にお風呂に入ったことはそれほど多くはないのですが

  名古屋に居たころ、一度お家のお風呂に一緒に入った時には

  わたし達の体重に耐えられなくて(^O^;)

  バスタブの底が抜けたというかヒビが入ってしまい

  結局は浴室全体を改装することになってしまいました!

 

上の子とは、マラソンサポート等で

  なんども親娘二人旅をして、お泊りもしました

  そこで一緒に、またお風呂に入ることになったのです

  それからわたしが「勝手にRLE」を終わらせて、隣に戻って来てから

  家族とだったり、彼女(元奥さん)と二人だったりですが

  お泊り旅行での大浴場で、再び彼女とも一緒に入ることになりました

考えて見たら、多分結婚前より

  今の方が一緒にお風呂に入った回数は勝っている気がします(^O^;)

 

そしてもう一人

  一昨年に享年百三歳で亡くなった母です

  父はわたしがトランスを開始する前に亡くなっていますが

  弟が亡くなってからはこちらの施設でお世話になっていましたが

  毎年秋に、近くの宿に二人でお泊りに行っていました

多少認知は入ってきていましたが

  最後までわたしのことは認識してくれていました(^O^)

  そしてお泊りでのサポート

  当然お風呂もね!

  またおかあちゃんの背中を流す時が来ようとは・・・

  流した後の「ありがとね!」のおかあちゃんの言葉

  感慨深いものがありました

 

父の背中を最後に流したのは

  結婚して少し経った時

  彼女からの提案で、立山黒部アルペンルート縦断を行い

  その時泊まった室堂の立山ホテルの大浴場で!

そしてもう一人

  逆に、もう一緒にお風呂に入ることが無くなった

  下の子!

  最後に一緒に入ったのは、家を出た翌年に

  誘われて行ったナガシマスパーランド

  当時はまだ中学生!

  もう中学生でもあるのだから

  一人だって入れないことはないのだけれども

  わたしも、まだまだトランス初期

  当然女湯には入れないので、下の子と一緒にお風呂に行きました

  その時、もう一緒に入ることはないんだろうな、と

  下の子の背中を流しました

  いっしょうけんめいにね・・・

 

トランスしたことで

  いっしょに入れるようになった人

  そして入れなくなった人

  やはり何かを手放さなければいけないのです!

 

でもこの選択も

  悪くはなかった、よね

  と思えるようにこれからも生きていきます(^O^)