学校出て、会社や役所といった組織に入って
自分の稼ぎで生きて行けるようになったなら、さぁ大人!
大人になったなら、なんでも好きなように出来るのか?
というと、なかなか自分の思うようになんてできないのがほとんどですよね!
りんちゃんはじめ、なでしこ達「野クル」の仲間5人は
いろいろありながらも想いを形にしていきました
でも本当の大変さは、それを続けること!
映画では創るまでで、その後はないわけですが・・・
わたしも、二度の転勤でこの地に流れてきて
完成車メーカーからの指示票である80欄パンチカードの処理に苦労されていた
協力工場様と出会い、その対応に立ち向かいました
実はこの時も単にSW的に対応したのではなく
(当時の機械性能をカバーするために)HW的な補正をプログラムに加えて
商品として有効な性能を引き出しての仕掛けとして形作りました
この時1977年、中小協力工場がコンピューターを導入しだした初期の頃でした
当初会社の先輩同僚に相談しても、誰も携わったこともなく
結局は独りでの悪戦苦闘が始まりました
ただここで、本来コンピュータシステムそのものには関係ないコトなのですが
この時のお客様の造っているモノは、車の中に組み込まれている部品で
通常は一般の人には知られていない物
でもわたしは自動車部OB、自分でも二級整備士の資格を持っているので大体はわかります
そうするとお客様はわたしへの信頼度が上がるのです(^O^)
入社試験でも「□大自動車部卒で、余暇に経営学をかじってきました」と言って
入れてもらった者としては面目躍如、”好きは身を助ける”といったとこでした(^O^;)
そんなこんなのいろいろがあり
第一期12社のユーザに納品したシステムを振り返って
もしそれらを整理統合して一つのシステムとして組み上げるとしたらどうなるのだろう、と
(個人的に)半年間温めていた構想を、あるチャンスで実現させました
その後、MRPが立ち上がって行く時もリアルタイムでその中にいたのですが
この前段の部品構成BOMにしても、このMRPも、そしてSNSも
自らのシステム構築する過程で自らで解いていきました
多分、5年早くても5年遅くても、この自ら解いていくということは出来なかった
だろうと思います
社会人としてのわたしとしては、このタイミングで生を受けてよかった
と思っています
それから2020年までの43年間
第11世代のシステムまで、会社を二回変わって、第一期ユーザも5社残っていて
ひとつことをやり続けてきました ・・・・ 会社員としてはフルタイムで48年
そしてそれなりに地域では知られるようになりました
始めて10年くらいは、まだまだ自分のシステムに自信が持てず
(そんなものがあるのか分かりませんが)
王道のシステムからは遠い辺境の偏ったシステムかな、と思っていました
でも20年経ち、ユーザーだけではなく、いろいろな販社の方々からの評価もいただき
そしてそれ以上に20年間何世代も改編しながらも継続させられているという事実に
わたしのシステムも協力工場という立ち位置でのシステムとしては
それなりなのかな、と自分でも思えるようになってきました
、
これまでも仕事での実績を通してのなし崩し
もう何十年も前の当然在宅勤務なんて概念もなかった頃から自宅での仕事もしてきたし
営業/SW/CEといった職種ごとの職務分掌を乗り越えることも
会社の改定を引っ張る形で、先行活動していました
打たれないくらいは出てしまった杭になって、かといって抜かれないくらいには飛び出さず
それなりにあやういバランスの上での会社員生活
お客さんからも、よく独り立ちできるんじゃない!と言われたことはありますが
独立すれば好きなことが出来るわけではなく
経理や管理といった苦手だったり好きでないこともやらなければいけなくて
それよりも組織の中で自分の居場所を創って
そこで好きなことを主にやっていけるのが一番いいなぁ~っと(^O^)
その考え方の延長で、それまでの仕事の実績をバックに還暦以降に勤め出した三社目で
在職トランスを敢行しました(^O^;)
一応SRSの一週間は有休を取って、その後の二週間は自宅勤務扱いにしてもらったので
取り敢えずは会社の了解を得ての在職トランスではありますが
戸籍の改性も終えても最後まで会社のおトイレは男性用でした(*_*;
それでも古くからの以前を知っているユーザの一部にはカミングアウトしているし
トランス後のお客様ではわたしを女性として扱っていただいていました(^O^)
多少やはやり切れていない感はあるものの
それでもなんとか
想いの性で、天職と思えたお仕事をやり通してきたのかな(^O^)
という思いは感じています
なんとかギリギリ間に合ったかな(^O^;)
わたしの社会人としての経歴は100%フルタイム会社員で
最初の会社が18年半、2社目がちょうど20年、そして最後の会社がぴったし10年
「勝手にRLE」と家を出ていた期間が7年半で
そのうちフライングでデポ注を始めてから戸籍の改性までのトランス期間が7年
わたしの生き方は
それぞれ(少なくとも数年)基本10年を単位とした流れの中での行動となっています
その間想いを抱き続け
流れてくるチャンスを見極める目、それをつかみ取る力、それをやり切ってしまう意思
それを総動員してチャンスの女神をしっかりと受け止めてきたのかな(^O^)
そう思いたいですね!
この選択してきたこの人生も悪くはなかった、と
そんな今日に、上の子にお土産をもらっちゃいました
お友達と山梨に出かけた時にの日帰り温泉で買ってきてくれた
「ゆるキャン△」コラボの桶とタオルです(^O^)/
そしてもう一件
最初の会社での直属の上司にもなった方で、一時期トマムの共同会員にもなった方からも
新茶のお礼が届いていました<m(__)m>
この方はカムアウトして、早い段階で受容のお返事をいただいた方で
慰安旅行だったり、お宅に泊まらせていただいたりで
奥様も知っているのですが、まだこの姿でお会いしていないので
いつかお会いしたいです
来週にはその同じグループ員だった方と、何十年ぶりにお会いすることになっているので
特にね(^O^)
カムアオウトしていて、まだお会いしていない方というのは
もう極々わずかです・・・