わたしとこども | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

 

今から5年前、上の子の大学二年の時に書いた記事です

  この記事の中でも書いていますが

  わたしは子供に向き合う時に、特には構えることもなく、一対一で付き合ってきたと思います

 

これは先日書いた『そこで私ならどうする?』で書いたように

  私自身は是が非でも子供が欲しかったわけではないのですが

  結婚するず~っと前に、”もし子供が出来たら、どう育てるか?”と言うことをよく考えていました

わたしの子供に対する考えの根底にあるのは

  ”子供は授かりもの”ではなく”預かりもの”

  決して自分の所有物ではなく、わたしと対等な一個の人間であり

  それが自律した生き方が出来るように導き、自立するまで預かっているのだと思っています

その導きの基本は、一つ一つ指示を出すのではなく

  自分で考える力、クセをつけさすこと

  そして他の人を意識すること ・・・・ けっして人の目を気にしなさい!

                          と言っているのではないのですが

このために次の3つだけを意識して子育てをしてきました

その一つ目は、本の好きな子にする

  自分自身の経験からも、本が読めれば勉強は何とかなるものだと思っています

  学齢前にはほぼ毎日寝る前に読み聞かせをしていましたし

  そのせいか、小学校の頃の読書量はいつもクラストップクラスでした

”本を読める”ということは、中に書かれていることを理解できた、ということで

  そうでなければ、本を読むという喜びなんて生まれずに、続けられないですよね

  そしてこの力は、全ての教科で必要なものになります

もちろんどの教科が好きになるかは子供たちそれぞれの特性によるものですが

  二人とも家ではほとんど勉強もしていないのに

  なんとか学校生活を過ごせたのも、本を読み続けられたからではないかな、と思っています

  ですから(多分)一度も子供達には”勉強しなさい”とは言ったことがないはずです

 

二つ目は、あいさつのできる子にする

  ためらいなくいろいろな人に挨拶することができれば

  他の人とのコミュニケーションのベースが出来るのだと思っています

  あいさつさえできていれば、相手に悪い感情は持たれないと思いますので・・・

 

そして最後の3つ目が、親の呼び方を”お父さん、お母さん”と呼ぶようにする

  これは単純に、わたしの個人的な思いなのですが

  わたしは父母のことを”ちゃん”付けで呼んでいました

  それが中学の頃から人前での”さん”付けへの切り替えに非常に苦労したのと

  ”わたしは”大人になってからのパパ/ママはどうかな、とおもっているからです

 

わたしは子供達には、この3つしか意識しての導きをしていません

  子供達もこれだけは出来ていると思います

  その意味では、実際に子供が出来る何十年前に考えていたことそのままを実践し

  想いとの大きくな違いはなく過ごせました

 

今までもいろいろなことについて事前の想定をしてきました

  でも今の処は、想いと実際での差異はおおきなものはなく

  実行してからの迷い・悩みが出るということはほとんどありませんでした

 

わたしの生き方は、先ずは”想いありき

  想いは第一であるけれど、その想いとともに、実行しなければならない

  それをなし続けることで、なにかが創られるのだと思っています

 

わたしのトランスもまさしくそうでした(^O^;)

 

そして、産むことこそできませんでしたが

  親として ・・・・ ”父親”として、という意識は一度も持ちませんでした

  子育てが出来たことは ・・・・子どもがどうしても欲しいとは思わなくても

  とっても良かったと思っています

ただ、わたしが「勝手にRLE」と家を出る時に

  上の子が「これからは、なんと呼んだらいい?}と聞いてきた時

  「これからも私はお父さんだから、”お父さん”でいいよ!」と答えました

  子供たちの戸籍の父親欄には、私の新しい名前が載っています(^O^;)

  親の名前は、”元の名のままにする”という選択肢もあったのですが・・・