”今日は何の日?” | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。


三年前の今日SRSを受けました!

  リブログした記事にも書いていますが

  わたしは今(その時のことです)、そして先のことを考えると造膣する意味を天秤にかけた時

  わたしにとっての意味を見出せなかったので、造膣は考えていませんでした

  そのうえ、さらに南雲さんでのキャンペーンを教えてくださった方が居て

  希望時期よりは少しずれましたが、それでもギリギリ仕事の合間の期間に手術日を設定できたので

  それでSRSを受けることになりました

 

手術して三年、仕事の場のみ社会的な制約がまだ残っていますが

  プライベートの場を中心に、どこでも出入り自由のスタンスを手に入れることができ

  その恩恵にあずかっています

正直一度くらいはあの人を全身んで受け止めたい、という気がないわけではありませんが

  実際的には叶わぬ夢なので、そのことはほろ苦い思いとして大事に抱えるとして

  それ以外には、SRSしたこと、そして戸籍の改性したことは

  一度も、一瞬たりとも後悔をしたことはありませんでした

  もちろん造膣しなかったこともね!

 

と同時に、リブログした記事にも書いていますが

  自分の想う生活はできるようになりましたが

  それは生まれ変わって新しい人生を歩み出したわけでなく

  それまでのわたしと、それからのわたしは、不連続ではなく

  あくまでも「わたし自身」なのですよね!

そのうえで、わたしの生きる場が広がっただけなのです(^O^)/

  広がったかわりにどこかが閉じた、または狭まったかというと、それも感じないのですが・・・

 

そしてここしばらくの記事でも触れていますが

  家を出てから7年経って、今年また元の家の隣の家(同じ敷地です)に戻ることになりました(^O^;)

  法律的には(元)奥さんとは赤の他人のままですが(この先もこの関係は変わらないでしょう)

  この7年の間も、、彼女とわたしは、二人の子どもたちの親であり続けたには違いないのです!

彼女は、わたしを”夫として、父として、男である”というフィルターをかけてしか見ていなかったのが

  時が経って、わたしを”わたしとして”見えるようになったら

  何も変わっていなかったことに気が付いたのかなぁ、と推測しています(^O^;)

 

今暮らしているここは全くのしがらみのない、そして誰も知らなかった地で

  今はそれなりの多くの人に認知され、女性性での暮らしを勝ち取ってきました

  今度はしがらみのある地、わたし一人ならどうにでもしますが

  他の人の思惑も意識しないといけないとなると、単純にはね・・・

  それでもコアの部分では ”私は わたし! あるがまま”

 

この先もわたしを貫いていくのでしょうね!

  その宣言はしてあるのですから・・・

 

これも結婚したときにはGID:性同一性障害なんて言葉のなかった時代に結婚した

  中高年既婚GIDの夫婦の歩んだ一つの事例

一緒に暮らしていた時の年賀状には毎年”ともに歩く”という言葉が添えられていました

  来年の年賀状はどうなるのか?

  ともには歩けなくとも、隣で見守ることぐらいはできるのかな?

  子供たちの親同士として・・・