お休み取って横浜に! | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

昨日母が退院して施設に入所したので

  その手続きとケアマネさんと今後の対応策についての協議の為に

  お休みを取って横浜に行ってきました

本当は今週はお客様とのアポが入っていて動きが取れないので来週に行く予定だったのですが

  今日の予定が無くなったので急遽今日行くことにしました

 

四カ所回るので少なくとも病院での退院手続きは午前中に終わらせたいので

  遅くとも8時にはお家を出ないといけないのですが

  いつものようにバタバタしてなんとかギリギリ8時に出られました

お友達からの連絡で東京の方は雨とのことでしたが

  東に向かうに着いてだんだんと雨も強くなってきました

それでも休憩地点でのSAでは雨も小降りだったので助かりました(^O^)

  ここでいつものお店を冷やかしたり、食べ損ねた朝食代わりのポテサラパンをいただきました

次は高速最終SAでお昼のお弁当を柿安で買って

  最初の目的地の病院へ!

病院には予定より少し遅く11時半過ぎになってしまいました(^o^;)

  母の入院費用を清算して、弟が一人でいる実家へ!

今回の母の入院は母の容体のせいで、というのではなく

  弟の入院に伴って多少認知の入りだした母を一人にしておくわけにはいかないということでの

  緊急措置だったのですが、退院してきたとはいえ弟も万全の状態という訳ではないので

  弟の負担が増えないようにいましばらくは施設にショートステイしてもらっているのです

そのあたりの今の状態の確認方々一緒にお弁当を食べたのですが

  ちょっとまだまだ心配な状態でした

 

このあと母の担当のケアマネさんと今後の打ち合わせに事務所でお会いすることになっているのですが

  2時には次の予定で出かけるとのことでしたので

  それに間に合うように実家を出ました

ケアマネさんとは小一時間話し合いを持ったのですが

  母と弟を離した方がよいのか、一緒の方がよいのか

  いろいろな状況を考えながら話し合ったのですが

  ”これでよい!”という確固たる結論は出せませんでした(^_^;)

それでも弟の状況が急変して入所しなくてはいけなくなった時

  ショートステイだと、必ずしもいつでも入所できるとは限らないので

  そろそろちゃんとした処を用意しておかないといけないかもしれない、ということで

  ケアマネさんにも施設を探しておいてもらうことになりました

 

そして母の様子を見に、入所している施設に!

  受付で母の部屋をお聞きして2Fに上がって詰め所でご挨拶

  母はちょうどその前のロビーで他の入所者さんたちと一緒に居ました

取り敢えずは元気のようです(^O^)

  少しお話ししていくのに他の人たちが居るところでも、ということでお部屋に行きました

母もあと少しで上寿、多少認知が入りだしているとはいえ

  杖等の補助具も使わず、ましてや車いすや介助者が居なくても歩いて行けるので

  一人でおトイレにも行くし、介助者なしでお食事もしていて

  まだまだしっかりしています

わたしが女の子して行っても私を認識はしてくれますが、特には服装のことは言われません(^o^;)

  でも名前は元のままだし、わたしは男の子のままなのですよね!

  ただこのことはもう直してもらうことは考えていないので、そのまま聞き流していますが

  やるせなくても、仕方ないですね(ノ_-。)

 

母とのお話はたいていの場合いくつかのお話しの何度も何度もの繰り返しになってしまうのですが

  もう少ししっかりとしていると思っていた時には、「それもう何回も聞いた!」と腹立てた時もありますが

  今は何度でも同じ答えを返しています(^o^;)

今日はそれらのお話しの中で、わたしの子供たちが今大学生になっていることを話した時に

  わたしの大学生活を思い出しました

まだまだ大学進学率が30%にも届かなかった時代

  家の経済事情では、高校を出たらすぐに働けと言われてもおかしくないのに

  ”現役で、家から通える、国公立”なら行かせてあげる、と言われ

  わたしもそれなりには努力して無事大学に通えることになりました(^O^)/

当時は授業料も月千円、入学金やら大学生協の組合員費等々入れても四年間で十万円以下!

  今なら国立でも年間50万~100万はかかるそうです

  今ならとっても大学には行けなかったでしょうね(;^_^A

わたしは大学に行ってその延長線上に、自分で天職と思える今のお仕事にたどり着きました

  何回か記事にもしていますが、ことGIDに関しては今わたしが20代だったらとは今でも思いますが

  わたしという一人の人として、今のお仕事をしている私としては

  わたしの生まれ年はジャスト・タイミングというかベスト・タイミングだったのだと思います(^O^)/

 

そんなこんなの感慨を胸にしながら

  今日初めて母にわたしを大学に行かせてくれたことに感謝していることを伝えました

  なんか話しながら涙流してしまいましたが

  「○○○なに泣いているの!」と母に言われてしまいましたが

  他にだれが居るわけでもなく、しばらくほほを伝わるものがありました(^o^;)

 

今日は平日、遅くなると途中のバイパスが帰宅ラッシュに巻き込まれるといけないので

  適当なところでお暇しました

 

本日のCC・・・・[B49][B29][P29][P29]

 

 

【追記します】

ケアマネさんとお話ししている時

  ケアマネさんが用意している入所申込書を開いて

  私が母の介護についてのキーパーソン(判断の責任者)でよいのだけれども

  母に突発的な何かがあたっ時に近くで連絡が取れる人はいないのかと聞かれたので

  近くには母の弟(叔父さん)の子供が居るので、連絡ぐらいは受けてくれるだろうとのお話しの時

  その用紙を見ていたら家族構成の欄に、わたしが長女、弟が長男と書かれていました(^O^)/

これはケアマネさんの方が気を使ってそのように書いてくれてうれしかったのですが

  戸籍を取るとわたしが長女なのはいいのですが、弟は次男のままなのです!

  戸籍はトランスすると元々の続柄(つづきがら)は、単に「男」「女」が書き換わるだけなのです

  ですからもしわたしの兄弟姉妹に女の子がいたとして、それが姉だろうが妹だろうが

  もとは「長女」ですが、わたしがトランスすると、「長男」=>「長女」になって

  「長女」が二人の「j次男」が一人の三人兄弟姉妹になるのです