この地で生きる! | わたしの夢はどこに・・・

わたしの夢はどこに・・・

私ってなに?本当にGIDなんだろうか?まだまだ彷徨っています。
その中で多くの方のブログを見させていただいて、いろいろなことを教えていただきました。
このブログは自らの心の整理と、一つの事例として他の方の参考になったらお返しになるかな
と思って開きました。

昨年は成り行きで自治会役員に組み込まれて

  いろいろと細かな失敗は多々起こしながらも皆さんのお手伝いを受けて

  何とかここまで来ました

昨日は連合自治会の「新年を祝う集い」が隣の自治会でありましたので

  わたしも歩きで参加してきました

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他者の仕切る会場なのであまりに早く言ってもご迷惑かなと

  通常よりは少し遅めに出かけたのですが

  会場は既に多くの方が集まっていました

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さすがに単位自治会の集まりではなくこの地域の連合自治会なので

  国会議員の先生も衆参両議員本人がズット出席されていました

わたしは自分の自治会以外知らない人ばかりなので隅で小さくなっていましたが

  公園愛護会の代表の方やら副会長から今回はつぶすから、と

  何倍もビールを注がれたのですが、途中でダウン壁際の椅子に座り込んでしまいました

 

そしてこの時も副会長から五年後に内の部が「翌年会長込みの副会長」の選任担当になるので

  ”その時は絶対してもらうんだから!”と何度も念押しされてしまいました(^o^;)

  この方同じ部なのでその時に出てきて推薦されそうですね(^o^;)

それとは別に来年度の副会長(再来年度会長)の方からも

  まだまだ新しい枠組みが落ち着いているわけではなく

  各役職の職務分掌の見直しや自治会で取り仕切る活動の見直し等

  まだまだ自治会活動について考えていかなければいけないので

  その部分を手伝ってもらうからと言われています

別に役とかは関係なくわたしで出来ることは、この地に住む以上

  そしてわたしの力が役に立つのなら

  (多分ジェンダーとは関係なくわたしという個人をみてくれているのだと思います)

  その時にやれる環境にあるのならそれぞれを受けて行こうかとは思っています

 

それがわたしをこの地で生かしてもらうことの恩返しだと思うし

  親からもらった姓も名も捨てて他の地で住まおうとも

  両親は移り住んだ団地で

  ほぼ初期から父が亡くなる数年前までずっと老人会の会計として

  実質ずっと会を無償でお守りしてきた親の子であり

  また上の子も義務感ではなく

  楽しみとしてボランティア活動をこなす感性を育んできているのは

  やはりわたしの血なのだなぁ~と思います

 

親とも子とも一緒に暮らすことはなくとも

  確実にわたしたちは親子だと思うし

  それが感じていられれば、わたしはこの先も一人で生きていけると思います

 

そうは言いながらも確実に毎年歳は取っていきます

  わたしも部長職として自分の部の人しかわかりませんが

  かなりの比率で独居老人や高齢夫婦のみの家庭があります

いまうるさくなっているプライバシーの問題も考慮しながら

  もしこの先も自治会活動に関与できるならば

  人のためというよりも、この先もこの地に住まう高齢になった自分自身のために

  なにか考えて今を行動していきたいと思っています

 

結局わたしは私として生きているだけなのですよね!

  そのうちわたしの女性性で生きたいという思いを抑えていただけで

  だからと言って、わたしは別の人格を生きてきた気はしていないのです

そして女性性で生きる道を見つけた結果

  自分>子>奥さん>親・・・の序列に従って、単純に動いているだけです

子に対する責任?

  多分生き方、考え方については(それをどう捉えるかは別に)

  もうこれまでで伝えてあると思います

  それはこのようなこととは無関係に、乳幼児のころよりずっと話し続けてきました

もう一つの現実問題としての生きる経費はいろいろあって多分問題ないでしょうが

  今でもわたしの給料は(元)奥さんの持っている口座に振り込まれています

会社がいつまで雇い続けてくれるかはわかりませんが

  78までは無理としても下の子が大学を出るまでは

  この枠組みを維持できたなら、と思います

 

ことしも、わたしを生きていきます

  そのなかでお仕事の場でも少しでも女性性が出せるようになったらいいなぁ

  と思っています

  ただこれは相手のあることなので様子を見ながらのトライですけれどもね・・・