篠山紀信さんは、
日本を代表する写真家
コマーシャルな印象がある方でしたが
あらゆるジャンルに"写真力"発揮し
時代をリードする人でした
篠山さんといえば、ヌード
様々な話題を提供していました
私が個人的に最も印象深かった
作品と言えば…
私は、この写真集に
大変感謝しています。
マラーホフと言う
類稀なダンサーにめぐりあい、
彼と親交を深めながら
2年間と言う時間をかけて
一つの作品を生み出してくれました。
マラーホフは、
自分の納得できない作品は
相当数、没にしたようです
一流のダンサー、アスリートとしての
矜持と言うことでしょうか
こちらは、マラーホフ自身が
最近になって
Instagramにあげてくれた
篠山紀信さんとの軌跡です
踊り手の肉体
坂東玉三郎
別刷りのテキストより
一部を抜粋させていただきました
見られる肉体は観るものが育て、益々美しくなるのです。若く美しく鑑えられた肉体は観るものにとって、絶対的信頼を与えるのです。肉体の輝きに出会う時、人は日常の障害を超越して感嘆し、移ろい行く己を重ね合わせ、礼賛するのです。そして今の今という美しさに感動し、人々は若い肉体の躍動に命の華をみるのです。
踊るものの魂は巫女でもあり、その肉体は生贄でもあったのかもしれません。その行為が絶頂に達した時、踊るものと観るものの間に、恍惚とした時が到来するのです。人々はその瞬間を称え、心の片隅でその絶対的信頼の事実を永遠に留めたいと考えるのです。瞬間を永遠に置き換えるという行為は、すべてのものは移ろい行くという真実で締めくくった、神への反抗なのかもしれません。
現代の文明において光と影を、1枚の紙に封じ込め静止画像を作るということは、一瞬の美を永遠に置き換えるという行為。つまり古代から若い肉体の絶頂の時を永遠に留め、崇め、眺めていたいという想いにほかなりません。鋭い感性によって、様々なものを捉えてきた篠山紀信さんがひとりのダンサー、ウラジーミル・マラーホフに出会い、絶対的信頼となるその最も美しい時を、踊り手の肉体を離れたひとつの作品に、創り上げたのです。すべてのものは移ろい行くという真実で締めくくった、神への反抗なのかもしれません。
現代の文明において光と影を、1枚の紙に封じ込め静止画像を作るということは、一瞬の美を永遠に置き換えるという行為。つまり古代から若い肉体の絶頂の時を永遠に留め、崇め、眺めていたいという想いにほかなりません。鋭い感性によって、様々なものを捉えてきた篠山紀信さんがひとりのダンサー、ウラジーミル・マラーホフに出会い、絶対的信頼となるその最も美しい時を、踊り手の肉体を離れたひとつの作品に、創り上げたのです。
私には、
このような優れた語彙力は
持ち合わせていないので
玉三郎さんの言葉をお借りしました。
命の華
それを愛でずには、いられない
この写真集以外で
篠山紀信さんの写真展に2度ほど伺いました
1度目は「食」
行けども行けども、食べ物
それを忖度なく
写し切るのは
容易なことではなかったでしょう
食べる事は
生命の源であり、必然であり
ときには悲しい事でもあるかもしれません
2度目は"写真力"と題した
篠山さんの真骨頂と言うべき
写真展でした。
芸能界のみならず
あらゆるジャンルの人々が登場し
あれもこれも
篠山さんの作品だったんだな
と改めて感じました。
過去ブログ⬇️
篠山さんは
チャンスに恵まれた人だった
自分のやりたいことが時代とマッチした
打てば響く、よくも悪くも
そんな時代を生きた篠山さんは
幸せだったと思う。
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