H/MIX様の「月光蝶」の音源からイメージした一人語り用の台本です。
音源はこちらから「月光蝶」
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私がはじめてそのお屋敷に足を踏み入れた時、
「いらっしゃい」と優しく響いた声があった。
見知らぬ人、見知らぬ街、見知らぬ文化。
私が生まれて知ったものとは、何もかもが異なる世界。
そう、これは私にとって、まさしく新しい世界であり、
異質な世界であり、そして運命と呼ぶべき世界でもあったのだ。
彼の優しい声に導かれるがまま、
私は綺羅びやかな世界に飛び込んだ。
「どうぞ、おいでくんなまし」
「あっちには、主様だけ」
「今宵も、優しくしてくれなんし」
甘い、淡い睦言は、この街の中でだけ結ばれた
「夫婦(めおと)」という繋がりを示すためのもの。
私の体は、あの優しい声に導かれて、この世界に落とされた。
落とされた。
落とされた。
落とされたのだ。
何に?
私は何に落ちたのだろう。
汚れ仕事と呼ばれても構わない。
私はただ、あの、優しい声をくれた彼の役にたちたいだけ。
きっと、私は彼に恋をした。愛をした。
そう、泥沼のようでいて、冬に布団のように暖かく、
はたして蜘蛛の糸のように細く、脆い、恋に落ちたのだ。
花魁と、楼主(ろうしゅ)の。
郭者(くるわもの)同士の。
決して結ばれてはならぬ、結ばれることのない。
誰かに言わせれば、決して報われることのない恋なのだろうけれども
私からすれば、私が年季を終えるまで、私がお職で在り続ける限り。
私は彼の一番になれるのだ。
こんなに素晴らしいことはあるだろうか?
私は月明かりに照らされた、蝶々柄の着物を見つめ、
その浅葱色に言い聞かせるのだ。
「私は、幸せよ。」