

これには、
ものごとや人を、
『ものさし』を通して見ない、
という前提でのお話です。
わたしたちは、普段人やものを見る時、
〇〇な人、とか
〇〇なもの、という
自分が持っている価値観に当てはめた
『ものさし』を通して、見ています。
たとえば・・・、
杖をついて足を引きづりながら歩いている人をみて、
「足が不自由で大変そうだなー」とか、
「足腰弱そう・・・」とか、
「わたしはあんなふうになりたくないな」など、
かわいそう、とか
不自由だな、とか
大変そうだな、とか
そういった目で見ています。
それは、
過去に足の悪い人の話や情報を
見たり聞いたりしているから。
自分の家族だったり、
知り合いの誰かだったり、
テレビで見た情報だったり・・・。
大変か、不自由か、かわいそうかは、
その足の悪いご本人がどう感じているかを
勝手にこちら側が同調して、感じているだけで、
ご本人が実際にどう感じているかとは
関係ありません。
もっと奥深い不甲斐なさや、
無価値感、腹立ちなど、
わたしたちには知り得ない感情が伴っているかもしれない。
どれだけその思いに同調しても、
その人にはなれないので、
その同調する思いは、
自分には必要のない思い、なのです。
もし、そういった
『ものさし』で見るのをやめたら、
杖をついて足を引きずって歩いている人でさえ、
”光の粒子”に見える。
これはけっして、
失礼、不謹慎な思いなのではなく、
同調しても意味がない、ということ。
同調して、かわいそうだなと思うくらいなら、
『一生懸命生きているんだな』と
称賛したい、と思いたい
今のご時世、
見ず知らずの他人が
何かお手伝いしましょうか、
と声をかけても
なかなかできないこともある。
自分の前を足の不自由なおじいさんが歩いていても、
レジで小銭を出すのが遅いおばあさんが前にいても、
『ものさし』で見なかったら、
イライラしないのです。
そこには、「エゴ」という損得感情で見ている存在がいる。
早く済ませることに意味があり、
その方が「得」だと思うこと。
損得勘定で言えば、
レジは早い方が得だし、
移動も早く移動できた方が得なのかもしれない。
それは、エゴの思い込みなんだと知ったら、
早い=得
という考えがだんだんとなくなっていきます。
時間のムダ、が
エゴにとっては
自分の価値を落とす最大の致命傷なのです。
その『ものさし』は、
人によってみんな、違います。
みなさんは、
どんな『ものさし』を使っていますか
今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませ