こんにちは。

いつも訪問、ありがとうございますニコニコ

 

 

ありのままに見る、って

どういうことかわかりますか??

 

 

 

 

先日、レッスン中に生徒が言った言葉。

 

 

「これ、私でも書けるよーっ!!

 

 

小4の女の子が発した言葉。

 

 

教室のカレンダーの各月の絵が、

小学生対象の公募で選ばれた絵で、

6歳の子が描いた絵だったのです。

 

 

毎月、その月の日本の行事にあった絵で

表現されています。

 

 

それを見た瞬間!!

 

 

「これ、私でも書ける!!」って。

 

 

どの視点で言ってる!?、笑

 

 

彼女の発言が可愛くて

プッと笑ってしまいそうになりましたが、

人は、ものを見る時、

自分のフィルター(ものさし)で

見たり、感じたりしています。

 

 

”小4でこうきたかー”と

私は思いましたが、

われわれ大人はもっと

自分視点でものを見ています。

 

 

昨今の、誹謗中傷もそうなのかもしれませんが、

やはり自分視点でものごとを見るときは、

言葉や発言には注意しないといけません。

 

 

あくまでも、

”自分視点である”ということを認識する。

 

 

ここを自覚していないと、

無意識なただの攻撃になってしまいます。

 

 

ネットでの誹謗中傷だけでなく、

わたしたちが普段口にする言葉や態度は、

ほとんどが自分視点であることが多いのです。

 

 

でも、

「ありのまま」見たいと思ったこと、

ありませんか??

 

 

私は最近、よく思います。

 

 

YouTubeでクラシックや

J-POPなどの音楽を聴くことがありますが、

自分視点で聴くと、

音楽的理論とか自分の知っている知識(ものさし)で

見て聴いてしまう自分がいます。

 

 

”ここのコード進行はきもち悪いね”とか、

”なんか速くて落ち着かない曲だね”とか。

 

 

まぁ、それもいいのですが、

そういう視点で聴いてしまうと、

音楽を真に楽しめません。

 

 

知識がじゃまをするから。

 

 

ハーモニーの美しさ、

歌い手さんの声質とか。

 

 

ほんとうの意味での音楽の美しさには

触れていないのです。

 

 

でもね、一方では

そういった美しさを感じたいと

思っている「ほんとうの自分」がいます。

 

 

”わたしは本当はありのままに音楽をただ感じたいのに・・・”

 

 

”なんかじゃまが入る・・・”、笑

 

 

みたいな感覚。

 

 

あとから詰め込んだデータなんて置いといて、

ただただ聴いた音楽を感じることができないのは、

とてももったいないような気がします。

 

 

私の動画では(練習曲ではなくて癒し系の音楽ね)

本当は、手元を映したくない・・・。

 

 

手元を見ながら音楽を聴くと、

手の動きを目で追いながら聴くことになるので、

視覚情報の方が、多く入ってきます。

 

 

視覚で脳がいろいろと分析を始めます。

 

 

「よく指動くね」とか

「手首もよく動く」とか、

「この人いくつなんだろう・・・??」とかね。

 

 

そんなことが頭をぐるぐるしたら、

本当の音楽は聴くことができません。

 

 

そんなことを言ったら動画にならないんだけどね、笑。

 

 

視覚で感じることも大切ですが、

音楽に関しては、

”耳”からの情報で感じたいところ。

 

 

美女が演奏しているのと、

髪ボッサボサでみすぼらしいおじさんが演奏しているのとでは、

なんか違う??

(みすぼらしいおじさん表現・・・すいませんアセアセ

 

 

演奏している人の本質があらわれる音楽。

 

 

見た目、ではなく、

その人の内側を感じたいところですハート

 

 

でも、人は見た目で判断しますね、

だいたい・・・。

 

 

どちらの演奏もすばらしいのに、

見た目で美女でしょ、と決めつけるのは

もったいない!!

 

 

その人の本質を感じられるようになったら、

見た目なんてこだわらなくなるのです。

 

 

そんなふうに人を見れたら、

すてきですよねキラキラ

 

 

なんのジャッジもしないで、

人やものごと、できごとを見る。

 

 

小4の生徒の発言からの気づき。

 

 

わたしは、”ありのまま”を見ているかな??

 

 

自問していきたいと思います照れ

 

 

今日も”愛”あふれる一日をお過ごしくださいませハートキラキラルンルン