呉 | 菊と斧

菊と斧

 斧

シモツケが咲き始めた。

 

 

同じ仲間のキョウガノコは数年前からうどんこ病にやられて葉を広げ蕾も付くのに開花して呉ない。

 

昔の日本人には呉が中国を表したことがあった。

呉は「ゴ」とか「グ」のはずなのになぜか日本では「くれ」とも呼ばれるようになった。

このことがずっと疑問だった。

先日、ある本を読んでいたら、もしかしたらという記述に出会った。

孫引きになるが、『和歌童蒙抄』に

 

くれはとりとは綾の名なり。軽嶋豊明宮応神天皇三十七年二月戊午、河知使主都加の使主を呉につかはして絹工女を求めしむ。爰河知使主於高麗国に度て呉に達とす。則道路を知ず。道を知者高麗に乞。高麗の王の久礼波、久礼志二人を副て導とす。是によて呉に通ことを得たり。(以下略)

 

とあるそうだ。 つまり、絹の綾織の技術を導入するために呉に行こうとしたが、道がわからないので高麗の王に頼んで道案内を付けてもらった。それが久礼波と久礼志の二人だったと。この二人の案内のおかげで呉に行くことができた、とのこと。

 

この「くれは」と「くれし」の名前が何かの間違いで呉の国の名前になってしまったのではないか、という可能性を思ったのだが、果たして?