
男は、五三歳になった。
常に病気未満の体調ではあるが、大病を抱えている訳ではなく、人並みに動けるし、元気であった。
その頃、いつも見る近所の店主が死んだ。
男は感じはじめた。
『俺は、生きている。毎朝、太陽を見ている。お飯(まんま)食べておいしいと思っている。風呂は気持ちが良いし、酒もうまい。それぐらいしか良いことはないけど・・もしかして・・俺は幸せ者なのか?』
そして
『そうか、生きてるだけで・・まるまる儲けものなのかもしれないな?』
と、気付いた。

男の不平不満は日毎に減っていった。
自分を『不幸人間扱い』しなくなった。
大事だけでなく、些細な事にも騒がなくなってきた。
社会や人のせいにするのも徐々に減っていった。
五五歳・・男の母親が死んだ。
男は泣いた。
『思い通りにしてくれない母だったが、苦労ばかりかけてきた。
もう少し、優しい言葉だけでもかけてやれば良かった』
と、生まれて初めて自分の言動や生き方を後悔した。
それから男は・・さらに考え始めた。
『そうか! 人間はいつ死ぬか分らないんだ。
それならば・・誰に、いつ死なれても、俺自身が後悔しない様に、人に会った時には、親切にしておくべきなんだ。
せめて、優しい言葉をかけて喜ばせてやろう。
明日、死ぬ人かもしれないのだから・・』
馬鹿が治りつつあった。
『俺も、いつ死んでもいいように楽しい気分で過ごした方が、得かもしれない』
とも、思うようになった。

「有難うございます♪自らの命と全ての善き事に感謝を忘れず~丁寧に暮らすことを努力中です!Anyway smile♪」
(With gratitude from ゆうゆ)

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