センテンスサワー -47ページ目

センテンスサワー

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感想もお待ちしております!!

金正日が亡くなり、もう一ヶ月以上経つ。

身近な独裁者として君臨していただけに、その終わり方には呆気なさを感じた。

いろんな意味で、2011年はインパクトのある出来事の連続だった。

東日本大震災にはじまり、ビンラディン殺害、女子サッカーワールドカップでなでしこジャパン優勝、大阪府知事・大阪市W選挙、ジョブズの悲報、など。

その締めくくりが、彼の死である。2011年度のオチである。



金正日が去った後、北朝鮮はまだ動き始めていない。

三男である金正恩が後継者として選ばれたが、経験不足ということもあり傀儡同然。

このままでは既得権益にしがみつく連中に支配された、発展衰退国になってしまう。

こんなとき、大阪維新の会の橋本市長のような方がいれば・・・。

あっ!! いた!!

そうです、長男の彼です。




先日発売された「父・金正日と私 金正男独占告白」。

東京新聞編集委員である五味洋治氏が長時間に及ぶインタビューと150通のメールで取材した内容で構成されている告白集である。

これまで彼に抱いていたイメージと、読後では、ガラっと印象が変わってしまうほど、ぶっちゃけている。

それもただぶっちゃけているのではなく、ちゃんと言葉を選んでいるのだ。

日本に不法入国し、「ディズニーランドに行きたかった」という内容のニュースを見たことある人は多いと思う。

金遣いが荒く、ふてぶてしく、風来坊というか都市遊民というか、そんなイメージだ。

だが、その印象を払拭する内容なのだ。

金正男はヨーロッパに留学し、リベラルな思想や文化を学び、現在のスタイルを確立した。

どうやらかなりの資産を蓄えているようで、投資家としても有名である。

また母国との距離のとり方も絶妙だと思う。

ソツがない男である。

北朝鮮の現状と方針に見切りつけているように感じるが、何らかの企みも感じざるおえない。

勝手な想像だけど、中国と直接取引しているのは彼のような気もしないではない。

北朝鮮のブレーンとして、あえてピエロを演じているように感じるのだ。




さて、北朝鮮はどうなってしまうのだろう。

金一家の世襲は最たるもんだが、政治的な力は昔ほどではない。

国をまとめ上げるための薄っぺらい象徴にすぎない。

人民に勢いさえあれば、いつでも国家を転覆させられると思うけど、ニュースで見る彼らの様子ではそんな元気などないだろうね。

そんな時だからこそ、またとないチャンスは「今」なんじゃねえのって思う。

北朝鮮が「北」を取っちゃう。

まあ、ありえないけど、それくらいしないと、誰からも他国からも認められないね。

それこそ金正男からもね。




ところで、
金正男は金正日の死に際に立ち会えたのか。

おそらく立ち会えてないだろうね。

それじゃあ、亡くなった後、対面することはできたのか。

それもむずかしいと思う。

命を狙われているし、監視までされているだろうし。

もし仮に、遺体と対面することがあれば、「東京タワー」の最後のような感動的な別れであって欲しいと思う。

ほいで、金正男総書記になったら、「スカイツリー」を見に来てほしいね。

もちろん、不法入国でね(笑)

以上。




今週のダ・ヴィンチにて、平山夢明のインタビュー記事が掲載されていた。内容は現在発売されている新刊「或るろくでなしの死」についてである。

本作は「或るはぐれ者の死」「或る嫌われ者の死」「或るごくつぶしの死」「或る愛情の死」「或るろくでなしの死」「或る英雄の死」「或るからっぽの死」という7つの短編が収録された短編集。

それぞれ全く別の話であるが、共通するテーマは「死(=破壊)」である。


今回のインタビューでは、話の内容に触れながら、日常に蔓延っている「狂い」についての話が興味深かった。

この内容については、数年前に購入した平山夢明の著書「狂い」の構造にも似たようなことが書かれている。

その「狂い」とは、怠惰から生まれるものである。怠惰から引き起こされて、狂いへと転落してしまう。

インタビューでは、平山夢明が取材した死刑囚について次のように触れていた。彼らの大半は自分の罪を認めず、責任転嫁する傾向がある。「俺が悪いんじゃない、あいつが悪いんだ」と臆面も無く主張し、他人のせいにする、と。

罪を償おうとせず、そもそも罪を犯したという自覚がないのである。

そして、インタビューで平山夢明はこう主張している。「彼らは特別ではない。同じような境遇に陥れば、誰もがそうなる可能性を秘めている」と。

つまり、他人ごとだと感じているあなたも、当事者になりうる可能性はおおいにあるのだ。



狂気的な人間を特別な存在としてしてしまうことはとても簡単なことである。そうすることで、自分とはかけ離れた存在として、片付けることができるのだ。

だが、僕らも過ちを犯してしまう可能性はおおいにあるのだ。こうして穏やかに過ごせるのもたまたま運がよかっただけなのだ。時代や環境、そしてタイミングが少しでもずれていれば、特別な存在として隔離されていたかもしれない。

明日あなたに何が待ち受けているか誰もわからない。

怠惰から人生が狂ってしまわぬように、気を引き締めてください。

以上。

ディー・エヌ・エーとグリーのバトルはまだまだ終わりそうにない。

ソーシャルゲームの提供をめぐり、独占禁止法違法行為は現在も続いているようだ。

全貌はつかめていないが、水掛け論に終わるのではないか。

もしくは新たなルールが誕生するかもしれない。



そしてグリーの田中社長は、ディー・エヌ・エーのプロ野球界参入に対して、強硬に反対していた。

その理由のひとつとして、ディー・エヌ・エーのモバゲーが出会い系サイトとして利用されていたことが挙げられる。

その意見に対して、異論はない。

実際に、僕の友達も出会い系サイトとして利用していて、艶のある話をいろいろ聞かされた(笑)

それについては、グリーも同類。

出会い系サイトとして使っていた友人は同じ数だけいる。

けれど、それに関してつべこべ言うつもりはない。

むしろ、そのシステム(空間・環境)を作ったことを賞賛したいくらいだ。

彼らはただ場を提供しただけであって、悪意があったわけではない、、、、、、、、と思う。

問題は使う側にあるのであって、すべてを把握し、運営するのはそもそも不可能でしょう。

それに、ルールをがっちり決めてしまうと、遊びが生まれない気がする。

ソーシャルネットワークは、ゴチャゴチャ感がいいのであって、秩序なんかクソ食らえだね。

コスモスよりもカオスっしょ!!

少しづつ派生していく先に、その微妙なズレが化学反応をおこすのだ。

たぶん(笑)



さてさて、今回のテーマであるソーシャルゲーム。

ブームといえばブームだし、ブームでないといえばブームでない、と思う。

行く末は定かではないが、可能性はおおいにある。

現在の主流は、カードバトルや同じ空間でコミュニケーションを取るくらいだろう。

簡単にいうと暇つぶし。

個人的には、もう少しうじゃうじゃ感が欲しい。

祭りの時にごった返している境内のように、同じ目的を持った者どうしがうごめいているような。

とりあえず、カオスっしょ!!

てことで、以上。