公という言葉の語源は「大宅」と書き、天皇家のことである。当時、それ以外は「私」であったようだ。
第二次世界大戦までの日本では、「私」の単位は家にあった。それが戦後に法律が変わり、「私」の最小単位が個人に変わったのである。
すなわちそれが日本においてのプライベートのはじまりとも言える。
で、ついでに言うと、個人のコミュニティーの形も変わりつつある。
一昔前までは、村・町からはじまり、郡・市に広がっていく過程があった。だが、現在ではそれは成り立たなくなっている。
その理由の一つに、行動範囲が広がったことと、コミュニティーを置ける場が広がったことである。
簡単に言うと、グローバル化に伴い海外への敷居の高さが下がったことと、ソーシャルネットワークの拡大である。
つまり、個人の社会との関わり方が怒涛の勢いで変化しているということだ。
で、今回のテーマに入る前に、プライベートの定義を確認しておきたい。
簡単に言うと「私事・私生活」である。
これじゃあ定義というか直訳かなww
まあ、いいや。
で、続いてプライバシーとは、私生活上の事柄をみだりに公開されない権利である。
プライバシーの権利という法律が生まれたように、個人の尊厳は強化されつつあるのである。
それはとてもいいことだし、これからもどんどん改善して欲しいと思う。
で、ここからが本旨だけど、個人個人のプライベートの定義・価値観は逆の方向に進化していると思う。
例えばフェイスブックなどがその要因といえる。
個人情報をある程度公開した上でプライベートを公に公開することはとてもいいことだと思う。
だけど、その個人情報を公開する範囲は人それぞれによって異なる。
つまり、何をもってNGとするのかということである。
顔・恋愛・仕事・思想・宗教・交友関係・住所・個人名など。
で、これらが複雑に絡まって、NGが生まれる。
例えば、個人名は公開してもいいけど思想・宗教はNGとか、思想・宗教は公開してもいいけど個人名はNGとか。
個人を特定されるかされないかで違ってくるし、それを公開する範囲によっても違ってくる。
まあ、ややこしいことには違いないけど、「私」「プライベート」に対する考え方が寛容になりつつあるというこだ。
というか、「私」すら「公」に近づいているのかもしれない。
つまり、芸能人のようにプライベートを売れる時代でもあるのだ。
今回のテーマである「おおやけこやけの赤とんぼ」。
ここで言う、おおやけとは「公」であり、こやけとは新たな「私」のことである。
だけど、その個人情報を公開する範囲は人それぞれによって異なる。
つまり、何をもってNGとするのかということである。
顔・恋愛・仕事・思想・宗教・交友関係・住所・個人名など。
で、これらが複雑に絡まって、NGが生まれる。
例えば、個人名は公開してもいいけど思想・宗教はNGとか、思想・宗教は公開してもいいけど個人名はNGとか。
個人を特定されるかされないかで違ってくるし、それを公開する範囲によっても違ってくる。
まあ、ややこしいことには違いないけど、「私」「プライベート」に対する考え方が寛容になりつつあるというこだ。
というか、「私」すら「公」に近づいているのかもしれない。
つまり、芸能人のようにプライベートを売れる時代でもあるのだ。
今回のテーマである「おおやけこやけの赤とんぼ」。
ここで言う、おおやけとは「公」であり、こやけとは新たな「私」のことである。
ようするに、そのうち「私」すら無くなるのではということだ。
「公」は「大宅」とも書くけど、それにならって「小宅」でこやけ。
もちろん遠い遠い未来になると思うけどねww
ということで、以上。
「公」は「大宅」とも書くけど、それにならって「小宅」でこやけ。
もちろん遠い遠い未来になると思うけどねww
ということで、以上。