烏坎村 | センテンスサワー

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先日、中国広東省の烏坎(うかん)村という小さな村で、選挙が行われた。

この村で選挙が行われるのは初めてであり、既得権益と独裁政権との戦いの末、ようやく勝ち取った結果だった。

地元共産党書記の腐敗や汚職、そして陰謀に立ち向かったのである。



今回の結果に至るまで、様々な苦難と犠牲があった。

注目を集めたのは、ある小学校教師の死。

村民の代表として交渉中に、警察当局に拘束されてしまい、不運にも拘置所で命を落とした。警察当局は男の死因を「心臓病」と発表した。だが、遺体には拷問の痕があり、家族は真相究明と謝罪を求めている。

この事件を発端に抗議活動は加速する。浮かび上がってくる土地開発問題や土地売却問題など。村民たちは抗議デモにとどまらず、ネットによる情報発信を行った。

その結果、世界中のメディアに注目されはじめる。そしてようやくその成果が実り、民主選挙へと繋がったのである。


昨年、ジャスミン革命が起こり、世界中で暴動デモが起きている。今回の烏坎村での抗議活動も根底にある問題は同じだ。既得権益と独裁政権である。それに対して村民が一致団結し、一丸となって立ち向かっていく。

このようなことが世界中で起こっている中、日本はまだ足踏みをしている状態だ。解決しなければならない問題はやまほどあるが、誰もが傍観者となり、当事者意識が欠けているように思う。そもそも一致団結することができない理由が他にあるのではないか。

その一つに多様なコミュニティが存在することがあげられる。
以前は、烏坎村のように地域に根差したコミュニティに重きを置かれていたが、現在では多様な社会になり、人それぞれ重きを置くものがかわってきている。そのため、表面的な付き合いになり、しがらみのない関係になってしまう。

また、格差も一括りにできなくなり、立ち向かう相手も異なってくる。そうなると、数が集まらず、変革が起きにくくなるだろう。

一億総中流と呼ばれているように、日本に危機感を持っている人はそう多くない。社会に不満を持っているは少なからずいると思うが、抗議デモを実行するほどではないだろう。抗議デモをすることによってリターンが返ってくるのであれば行動を起こす人もいると思うが、その期待値があまりにも乏しいのだ。

そして金も時間もない人々が、わざわざ集まって抗議デモをするほど暇じゃない。その日暮らしで自転車操業的な生活をしている人々にとって、一分一秒は貴重中の貴重なのである。




ツイッターやフェイスブックのような新たなコミュニティの形も誕生し、情報共有や情報交換が日々行われている。

震災後、それらのツールが、復興のために国民が一致団結したことも事実だ。

だが今後、学生運動のように大規模なデモは起こりうるのだろうか。

たぶん、起きないのでは。

なぜなら、フラストレーションを爆発させることで被害を被ることを知っているからだ。

願わくば現在のデモのスタイルにかわる新たな抗議のスタイルが生まれたらいい。

情報革命が起こり、集団で叫ぶようなデモではなく、個人個人でつぶやくようなそんなデモが望ましい。