さて、今日の記事は昨日の続きです。
琉球に詰問状を送った薩摩は琉球の対応によって琉球侵攻を撤回する気は毛頭ありませんでした。
そして1609年、当時日本最強と言われた薩摩軍は3000人の軍団と鉄砲700丁余りと共に琉球侵攻を実行します。
1609年3月4日に薩摩軍は鹿児島を出港します。
その後3月25日には琉球王国へ上陸後、今帰仁城を攻略し4月1日には首里城を落城させたのです。
そして4月5日、ついに琉球王国は全面降伏となります。
わずか1ヶ月余りで琉球は薩摩に制圧されたわけですが当時日本最強の薩摩軍にとって200年に渡る太平の世に浸ってきた琉球軍は所詮、敵ではなかったわけです。
琉球支配後の薩摩は琉球王国の中国貿易や黒糖による莫大な利益で軍事力を強化します。
そして皮肉なことに徳川幕府の許可を得て琉球という金の卵から得た強固な財政力を元に300年後の明治維新で徳川幕府を滅ぼしてしまうのです。
歴史にもしもはないと言いますがもしも琉球の中国交易がなかったら明治維新による日本の開国はなかったか遅れていたことでしょう。
当時鎖国状態にあった日本は琉球の存在が大きく関って開国したわけで薩摩がやらなくても別の藩が実行したことでしょう。
今も昔も地理的には小さな沖縄ですが、その小さな沖縄の存在は日本にとっては大きな存在なのです。