災いとは何か | タイタンの探索者

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自分の思う宇宙観や思想、イメージを思いつくままに書いています。

また、子供を殺すような親や鬼畜に死刑を願うものの1人です。

子供はこの世の宝、未来の希望、そして繋がるいのち。

子供も守ってあげられない世界に、未来はありません。

昨日は交代で休みをもらえる土曜日でした。

そして嫁と子供が風邪をこじらせていたので、ちょうど良かったと思いきや…

上司はまたしても出社させる気でいました(*_*)

まだ入社して一年もたっていませんが、結局工事や営業対応できる小物が僕だけなので、どうしてもあてにされるのですね。

でも、キッパリお断りして、休ませてもらいました。
とりあえず先の事はわからないけど、やっぱいつかは独立した自営業でやるべきかと強く思いました。


これが災いその1。



そして子供を医者に連れていったり、家事をこなしているうち夕方になり、今日は稽古の日なので少し元気になった嫁様にお願いして外出。

その道中、縦貫道で後ろについていたヤンキー車が無理な追い越し。

こちらが止まらなければ衝突です。
この武士道の国と言われた地には、もはや全く仁愛が根付いていません。

ヤンキー、硬派は好きなんですけど、俺様ワガママゆとり系は手足を砕いてダルマにしてやりたいくらい大嫌いです。

これが災いその2。

そしてたどり着いた道場では、まさかの休講。
会長とお話ししたら、こちらも急用でこうなってしまったのこと。

雪は降っていなかったのですが、子供たちも来ず結局無駄な行動となりました。

でもそのあとゆっくり買い物ができたので良かったかと。

一応、これも災いその3。


そして帰宅して夕飯をとり、様々片付けて三回目の洗濯物を干していると、その重みでハンガーが折れました。

幸い室内だったので、落ちても汚れはなく…

これで災いその4。




連日、こうした災いが本当に多い最近です。
特にあおり運転、無理な追い越しにはまず100%遭遇します。

マイカーが軽自動車なので、やっぱり舐められるんです。
田舎は本当にこういうくだらない見下し行為がフツーにあるのですよね。

パートやアルバイトで頑張っている人を見下す。
自分の持っているモノや機械よりスペックや価格が劣るものを身に付けているものは格下とする。

本当にくだらなく、実に不毛であり人情がありません。


しかし一人になり、冷静に考えてみると、やはり自分が今そういう波動を出しているゆえ、そういう輩が集まってくる。

僕は求心力が強いので、良きものも悪いものも様々に呼び寄せて引き寄せてしまう。

思想の汚染があるのでしょう。気を付けねばなりません。


そしてカウントしてきた災いを思い返しても、災いの前後には何かしら良いこと、穏やかなこと、安心と安全のなにかがありました。

例えばやはり僕は人に使われるより自分が親方になって仕事をしたいという決意をもてたこと。

こちらが止まって道を譲ったことで、当然衝突も事故も回避され、ヤンキーはその傲慢と僕の放った憎しみを背負ってこれから生きていくこと。

(僕はオロチ年生まれなのでとても憎しみが深いのです。)

いつか、痛い目にあうか相応の対価を支払うことになるでしょう。


そして稽古はできなかったものの、ゆっくり家族のために買い物をしてあげられたこと。

洗濯物も無事だったこと。


……挙げていけばきりがないのですが、やはり災いと福徳は表裏一体のようです。

一見わからなくても、全く目に見えてそれがなくとも、理解できなくとも、
きっとそうなのでしょう。

自分が動く先に、ムスビカタメができていきます。

すなわち、生きているだけでメイクドラマなのですなぁ(笑)。


敬愛して止まない東平光一先生の本に「自分は無限の円である。」と書いてありましたが、まさにそれを肌で感じます。

どこにいっても無限の円。半分の半分の半分の……というあれですね。

ちょっと今手元に本がなくて、こんな荒い言い方になっていますが (*_*;

本当にすごいことを教えて下さっている。




今日(1月19日)も災禍と福徳溢れる、良き善き研鑽の1日でした。