かつて私は

みんなの意見をひとつにすべき

だと思っていました

 

だから違う考え方の人がいると

議論をとおして納得させ

同じ意見にまとめようとしました

 

もちろん社会生活のなかで

そうしなければならない場面

もたくさんあるでしょう

 

みんなの意見をまとめて一致団結して

目の前の問題を乗り越えていくのは

すばらしい経験でもあります

 

その一方で

考え方をひとつに収縮することの

マイナス面にも気づきはじめました

 

「お国のため」とか「平和のため」

という大義名分のもとに

みんなが一丸となって戦争に突き進んだ

過去の出来事を考えても

 

教祖の意見に賛同して

宗教団体に大金をつぎ込んだり

サリンという毒ガスまで生産した

過去の事件を考えても

 

違う考え方を認めずに

ひとつの意見に収縮させる怖さを

じんわりと感じはじめたのです

 

そんな大きな出来事ではなくても

私たちは日常生活の中で

考え方が合わずにぶつかることは

たくさんあります

 

相手と対立する意見を提示して

相手を言い負かしてこちらに同調させるのは

たしかに一種の快感でもあります(苦笑)

 

でも、色々な経験を積んでいくうちに

みんなの考え方が一致していることが

そもそも不自然だと感じはじめました

 

あなたはそういう考え方なんだね

 

私はこういう考え方なんだよ

 

そんな会話ができることが自然であり

とても幸せな状況だと思います

 

ところが周りを見ると

自分の意見を言おうともせず

立場の強い人の意見に同調して

その場を波風立てずにやり過ごす

 

いつしかそんな同調圧力が

まかり通っているようです

 

それが社会生活を送る賢いやり方なんだよ

って言われているような気がします

 

たとえその場では波風が立たなくても

違う意見の人は同調圧力に不満を持ち

割り切れない思いを解消できずに

SNSなどで爆発してしまうのかもしれません

 

以前の私は問題が起こるたび

みんなが納得できる解決策

という答えを探し求めていました

 

でも、そもそもすべての人が満足できる

解決策なんてないのかもしれません

 

人生で次々と起こる問題は

 

水戸黄門の印籠みたいに

「これが目に入らぬか」的な解決策

を私たちに求めているのではなく

 

人それぞれ多様な考え方があるなかで

あなた自身はどう生きていくのですか?

 

と、私たち一人ひとりに問いかけている

のかもしれません

 

私たちは自分の心の奥にある宇宙の中で

常に自分の生き方を問いつづけ

自分らしい在り方を模索していく

しかないのでしょう

 

そうやって自分の宇宙を想像し

育てていくしかないのでしょう

 

そして、そんな自分の内側にある宇宙が

外側の世界に投影されるのだとしたら?

 

もしそうならば

外側の世界と格闘するのはやめて

 

自分の内側で自分らしい宇宙

を想像しつづけていくことで

 

外側の世界においても自然と

自分らしい行動が生まれて来る

ような気がします

 

それぞれ考え方は違っていいし

ぶつかることがあってもいい

 

それぞれの違いを包み込みながら

自分の内側から生まれる自然な行動を通して

この多様性の時代を生きていきたいね

 

最近は、人と意見がぶつかったり

イラッとする人が目の前に現れるたび

自分にそう語りかけています うさぎのぬいぐるみ飛び出すハート