泣きたくなったら

なぜかよく歩きます

 

泣きたくなって

泣けるときはいいのですが

泣けないときもあります

 

私にはそっちの方が

ずっと多いような気がします

 

1月最後の日曜日も

泣きたいのに泣けなくて

 

「どうしたい?」って自分に訊いたら

 

「海の見える場所を歩きたい!」

という答えが返ってきました

 

電車に乗って江ノ島へ行き

江ノ島海岸の東浜と西浜を

ひたすら歩きました

 

お昼過ぎから夕方5時半まで

カフェに寄ってエネルギーをチャージしたり

海辺の階段に座ってボーっとしながら

ほとんどの時間を海と向き合って過ごしました

 

泣きたい理由は一つではないのですが

その理由の一つが前日の土曜日にありました

 

飛べないニワトリのくせに

思い切って崖から飛び降りてみたら

思っていたように物事が運ばなくて

みごと墜落してしまったから

 

やっぱり私は飛べないニワトリのまま

人生を終えてしまうんだ・・・

 

そんな予感に心が苦しくなってしまったから

 

いくら頑張ったところで

のろまなカメはウサギになれないし

ニワトリは結局飛べないんだね

 

こんな人生に意味があるのかな

 

「そもそも生きる意味なんてない」

「生きているだけで意味がある」

 

未だにこの二つの答えが

私の中で堂々巡りをしています

 

私は海洋散骨を望んでいることもあり

この人生を終えて海に還っていく自分に

思いを馳せていました

 

私が海の一部として水に還っていくとき

今回の人生をどう思うのだろう?

 

生まれ変わって

もう一度やり直したいと思うの?

 

それとも、全ての失敗も含めて

この人生を丸ごと愛して旅立てるの?

 

後者でありたいと切に願っているのに

今はその確信が持てないのです

 

ということは

まだやりたいことがあるのでしょう

 

心の声にしたがって生きていけばいい

ということも頭では分かっているのですが

 

物事がうまくいかない状況にぶつかると

不安で怖くて泣きたくなってしまいます

 

そんな自分を抱きしめて

水平線を見つめながら

波の音に耳を澄ませました

 

俊敏なウサギになりたかったんだね

 

頑張ったけどカメはカメだったね

 

自分がニワトリだと分かっていたけど

どうしても空を飛びたかったんだね

 

清水の舞台から飛び降りる覚悟で

崖から飛び降りてみたけど

みごとに墜落しちゃったね

 

・・・・・・・・・

 

だけど、まだ自分の足で立ってるよね

 

今も自分の足で立ってるよね

 

ほら、今日もこの足で歩いたんだよ

 

そんな自分、すごくない!?

 

生きてるって、すごくない!?

 

涙が溢れてきました

 

六十年あまりの人生で

たくさんの過ちを犯してきたけれど

何度も挫折しては立ち上がって

こうして生きてるって、すごい!!

過ちは人生を豊かにしてくれる

 

すると私の中で

「そもそも生きる意味なんてない」と

「生きているだけで意味がある」という

二つの答えが一つに溶け合っていきました

 

人生は丸ごと受け入れるからこそ意味がある!

 

人生の一部だけを切り取って

意味があるとかないとか言うのをやめよう!

 

人生は丸ごと受け入れないと

意味がないんだな、きっと・・・

 

日が沈み

陽の光の代わりに

電気が灯りはじめた頃

 

冷え切った体を抱きしめながら

江ノ島の海を後にしました

 

また泣きたくなったら

水平線を見つめるために

ここに戻ってこよう・・・