高齢化、晩婚化で、家族の介護と育児のタイミングが重なることを日本では「ダブルケア」と言い、この2つのお世話を同時にする人を「ダブルケアラー」「ダブルケア世代」と呼ぶらしいですね⁉︎
この言葉は、家族の介護と孫の世話のタイミングが重なる場合にも使われているみたいです。
外来語だと思われますが、デンマーク語には「サンドイッチ世代」と言う言葉があり、「ダブルケア世代」と同じ意味で使われます。
サンドイッチの具のように、パンとパンに挟まれて動けなくなっている世代ってことかな?サンドイッチ世代は、親からも、子どもたちからも助けを求められる世代、50代〜60代、私も一応その世代に属していると言えます。
1歳〜2歳児のパワーに追いつけなくて、疲れることはあるけれど、孫の世話にストレスを感じたことはなく、おばあちゃんライフを楽しませて貰っています。
恐らく皆んな同じかと思いますが、問題なのはもう一つのバンズの方かと思われます。
高齢の家族が側に住んでいれば、どうしたってある程度は巻き込まれるのが介護です。福祉が充実していることで有名なデンマークでも、家族の無償援助は当然のように介護システムに組み込まれます。
脳梗塞で倒れ、病院とリハビリセンターで約2週間過ごした後、先週自宅に戻った義母ですが、運がいいのか、ただただ健康なのか?おかげさまで後遺症はほとんどなく、週末には愛犬も家に戻ってきて、以前と同じ生活ができるようになりました。
退院後1週間は1日3回、自治体からホームヘルパーが派遣されるように自分で頼んでいた義母でした。
外人(特に無資格な人→デンマーク語が怪しい人→自治体から派遣されるホームヘルパー) が大嫌いなのに、気が弱くなったのかな?と、自治体とのミーティングに同伴した私は驚かされました。
でも、案の定、見ず知らずの外人や、礼儀を知らない?デンマーク人が、ズケズケとアパートに侵入することに耐えられなくなった気難しい義母は、1週間以内に全ての訪問を断っていました。
それに至るまでに、「態度の無礼な人が、毎晩6時に冷たい声で電話をしてくるのが気持ち悪い」と警察に通報したり、「気付いたら知らない人が居間に立っていた」と警察に通報したりしていました。
電話は、今から行く予定だが用事はあるか?と言う自治体のホームヘルパーからの確認の電話でした。そして、自治体の救急アラームシステムに登録している人は鍵を自治体預けているので、居間に立っていた人は、義母の鍵を持っているホームヘルパーがアパートのベルを鳴らすことなく部屋に入って来たのだ、と言うことが分かりました。
そう言うことがあることを義母は知っていたし、以前も何度かあり、不満を口にしていました。ですが、今回、とうとう堪忍袋の緒が切れて、警察に訴えたようでした。
最近はデンマークでも、高齢者をターゲットにした犯罪が増えていて、義母によると「警察は100%義母の見方で、自治体に対してホームヘルパーの教育を改めるように通告することを約束してくれた」そうです。
もしかしたら、義母がホームヘルパーの訪問を受け入れた目的は、初めから警察に通報するためだったのかもしれません。
普通に親切で、仕事もできるホームヘルパーも存在するとは思いますが、義母の中に出来上がってしまった「不作法で役に立たないホームヘルパー像」がリフレッシュされることは今回もありませんでした。
理学療法士や看護師(資格があるし、デンマーク人であるチャンスが大きいので義母のお墨付き)は時々訪問してくれますが、またひとりぼっちになってしまった義母です。
彼女が必要としているのは、犬の散歩をしてくれる人と、話し相手になってくれる人で、私はその役目の一部(朝の犬の散歩と愚痴を聞く担当)を努めています。
余談ですが、最近息子に「お母さんの知り合いの日本人のデンマーク語は、日本語のような優しい響きなのに、なんでお母さんのデンマーク語はそこらのデンマーク人と同じキツイ響きなのか?」と言われてしまいました。
発音がいい悪いとかではなく、ただ単に口調が柔らかいか、キツイかの違いの指摘なので、(義母とやり合っているうちに、義母の口調が移ってしまったのかもなぁ〜)なんて思って反省しています。
両親が遠い日本だから義母まで手が回るけれど、世話が必要な高齢者が複数いる人や、フルタイムで働いている人は、サンドイッチ世代をどうクリアするのだろう?どんなに大変なのだろう?と、他人事ながら心配になります。
日本の両親は、自治体のサポートを受けながら2人で静かに仲良く暮らせていて、ケアマネさんとLINEで通じているものの、2人がしっかりしているので、私の出る幕はありません。もちろん、この状況がいつまで続いてくれるかはわかりません。子どもだったとは言え戦争を体験して、戦後を逞しく生き抜き、次の世代のために全てを捧げて来た親たちの世代に私は心から感謝しています。2人の幸せな生活が出来るだけ長く続くことをただただ祈るばかりです。
人生の晩期には、その人がどう生きてきたか?が出てくると思います。
幸せは、学歴にも、現役時代の仕事にも、子どもや孫の数にも寄らない、それだけは確かです。
晩期が訪れた時、自分はどうありたいのか?
そんなことを考えながら、サンドイッチ世代を悔いのないように過ごしたいと思います。