さよならブダペスト、また来るからねー | 大好きな日々の覚え書き

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デンマークの暮らし、教育、天然酵母、麹、発酵の話、旅行の話、子どもたちを通して知ったバレエのことなどなど、ふと頭に浮かんだこと、思ったこと、感じたことをそのまま綴るブログです。

今、ブダペストの空港で、ゲートの番号が掲示板に表示されるのを待ちながらこれを書いています。


今朝の散歩は、ブダペストに「さよなら、また来るからね〜」と伝えるために、街が一望できるゲッレールトの丘に登って来ました。


ブダペストの至るところから拝むことができる「自由の像」で有名なこの丘ですが、頂上は修理中で入ることが出来ませんでした。歩きながら(そうだ!あそこはまだ行ってなかった、最後にパノラマで街を見渡しに行ってみよう!)と無計画で向かったので、立ち入り禁止でちょっと残念でしたが、他にもヴューポイントが沢山あったので、まあ行ってよかったです。



一番何が良かった?と聞かれたら答えに迷うくらいブダペストが大好きになりました。デンマークからは安い飛行機のチケットが出ていて来やすい街だし、必ずまた、近い将来に訪れたいです。今度は息子と一緒に来ようと思うし、他の家族にも勧めたいと思います。


長男は、偶然にも私たちがここに来る前の週に、やはり仕事でブダペストに来ていたのですが、どれだけ観光が出来たのかわかりません。


学会などで来ると中日が見学日になっていることが多く、多少は見学することが出来るようですが、半日でブダペストを見て回るのは難しく、主人も殆ど見学ができませんでした。


一方私は、移動日を抜いた残りの丸々6日、一人で身軽に気の向くままに、思いっきり歩き回って、入場できる場所にはできる限り入場して色々と体験してきました。いわゆる観光名所以外でも興味深い建物が溢れている街なので、常に上を向いて歩いていました。


入場料を支払って見学したのは、国会議事堂、大聖堂、ブダ城、ドナウ川の船ナイトツアー、マジパン博物館(センテンドレ)、陶磁器博物館(センテンドレ)、ドハーニ街シナゴーグ、現代博物館、国立博物館、恐怖の博物館。


簡単に個人的な感想を書くと、


煌びやかな「国会議事堂」金でゴージャスな内装に圧倒された。12世紀以降、ハンガリーの王が代々引き継いできた聖イシュトヴァーンの王冠も一見の価値があると思う。王冠の写真撮影は禁止されていて写真は撮れなかった。



「聖イシュトヴァーン大聖堂」も内装がキンキラキンかつ荘厳でした。建築物としても大聖堂らしい権威があって素晴らしいし、教会に入場料を支払って入るのはちょっと変だけど、それでも必ず入場すべき大聖堂だと思った。




ドハーニ街のシナゴーグはヨーロッパ最大の「シナゴーグ」。生まれてはじめて足を踏み入れた「シナゴーグ」はとても印象的だった。フリーガイド付きのチケットなので、ガイドの案内でユダヤ人の歴史に触れることができた。


シナゴーグの庭にある、ホロコーストの記念碑『生命の木』


ナチスドイツの支配下で、「矢十字党」と言う、ハンガリーの極右政党によって残虐なユダヤ人迫害が行われたハンガリー。


約8万人のユダヤ人が強制収容所に送られ、約2000人はドナウ川沿いに連れて行かれ、銃殺されドナウ川に突き落とされたそうだ。そして射殺される前に、当時高価だった「靴は脱ぐように」と命令されたそうだ。その残酷な記憶のモニュメント『ドナウ川遊歩道の靴』をドナウ川沿いのその場所で見ることが出来る。小さな子どもの靴もあり涙なしには見ることが出来なかった。



「現代博物館」は、正直に書くと向かいの国立博物館と勘違いして入ってしまった博物館だったのだけれど、ハンガリーの伝統工芸技術の展示会などを見学できなかなか興味深かった。


「国立博物館」ではティツィアーノの貴婦人の肖像画に一目惚れしてしまってそこから動けなくなってしまった。半日で見るのは無理と思われる素晴らしいコレクションだった。次回も必ず訪れたい博物館だ。



「恐怖の博物館」は、矢十字党とコミュニズムと言う2つの恐怖の時代を耐えなければならなかったハンガリーの負の歴史に真剣に向き合っている博物館で、歴史に興味がある人には絶対に行くことをお勧めしたい博物館だ。


ブダペストのシャンゼリゼと呼ばれ、ファッショナブルなお店が立ち並ぶアンドラーシ通り。国立歌劇場もこの通りにある。でも「恐怖の博物館」があるアンドラーシ通り60番は、かつて「矢十字党」その後は「コミュニストの秘密警察」が本拠地にしていた場所。ここで、どんなに残酷なことが行われていたのかと考えると恐ろしくなる。


今回の旅で、カトリックの聖職者で、投獄され、拷問を受けても、信仰の自由を訴えて、反ナチス、反共産主義を貫き、多くのハンガリー人に影響を与えた、ヨゼフ・ミンゼンティと言う人の存在を知った。第二次世界大戦中には大司教、のちに枢機卿になった人なので大聖堂はもちろんのこと、恐怖の博物館でも、彼の人となり、偉業に関する特別展示があった。


「一人の聖なる人の存在が、多くの人の魂を救うってことがあり得る」と実感した。共産主義の時代が長かったせいか?国民の60%が無宗教と言われるハンガリーだけど、日曜日に行った教会や、通りがかりに入ってみた教会に、ハンガリー人の信仰の深さを感じた。


人々は実直で、真面目、信頼できると感じた。電車の中で、切符の切り方が分からなかった時、博物館で迷った時、買い物で困った時……親切な人たちに優しく助けられた。


サービス精神ほぼゼロのデンマークからやって来たので、若い店員さんたちやレストランのウェイター、ウェイトレスさんたちのサービスには感動した。


訪れた場所の中で、一番長い時間を割いたかもしれないのは温泉で、月曜日から金曜日まで、毎日通って、5箇所の温泉を訪れた。


これに関しては個人的なレヴューを別の記事に書きたいと思います。


と、この辺まで書いてゲートに移動して帰国しました。残りは家に戻った後で書いたものです。


ブダペスト最後の夜は、主人と二人で国立歌劇場にオペラ『椿姫』を観に行きました。14日(金)は偶々その初演の日でした



ブダペストの歌劇場は、舞台も客席も、大きさはそれほど大きくないのですが、煌びやかさが半端ではなく、ゴージャスな気分になれました。




座席の背中で光っている四角いものは字幕スーパー用のスクリーン。

舞台の上にハンガリー語の翻訳が出て、スクリーンでは英語と他の2ヶ国語から選べるようになっていました。




フォワイエ。


オーケストラピット。


上ばっかり見て、歩くだけで女王様気分になれる入口の階段やレッドカーペットの写真をうっかり撮り忘れてしまったので、こんな写真だけですみません。


休憩時間には、シャンパンやワイン、カクテルのような飲み物や、柔らかいプリッツェルに似た形のパン、ケーキ、サンドイッチを頬張る人が多かったです。私たちは食事を済ませてきてしまっていたので歌劇場の名物なのかもしれない美味しそうなプリッツェル・パンが食べれなくてちょっと残念でした。カクテルを飲んだのですが、休憩時間が意外に短く、慌てて飲み干さなければなりませんでした。


休憩時間の終了の合図は、デンマークではベルが3度なって、1度目は慌てる必要がなく、3度目には着席しているべきと言う暗黙の了解があるのですが、ハンガリーの歌劇場では、小さな鐘を持った係の人が劇場内を鐘を鳴らしながら歩き回り休憩の終了を告げていました。鳴り始めてから着席しなければならない時間が短めで、(ここではそうなんだ〜)と新鮮だったけれど、劇場の暗黙の了解が今ひとつわからなくて戸惑ってしまいました。係の人が、ある場所まで来て鐘を鳴らしたらいよいよ席に着くべき時間だ!とか暗黙の了解があるのかもしれません。


公演後。カーテンコール。


私たちは、床席の最後列を選んだのですが、この席がなんと大当たりの席でした。前の方の席に比べると安いけれど、床席全体がそんなに大きくないので、最後列でも舞台がよく見えて、しかも最後列の両端各4席までに座ると、前列が存在しないので、前の人の頭で舞台がよく見えないと言うリスクがゼロです。脚を思いっきり伸ばして、ゆったりとオペラ観劇が出来ます。さらに、一列一列の席の数が少ないので端の方でも中央に座っている感覚がありました。


オペラの『椿姫』は、有名なアリアは何度も聞いたことがあるけれど、全幕を観たのは初めてでした。バレエ『椿姫』よりも原作に忠実にヴィオレッタの信仰が描かれているのですね〜、そしてある意味ハッピーエンド?知りませんでした。


素晴らしいソプラノ。オペラにバレエはつきものだけど、the Hungarian Dance Universityの生徒さんたちによる比較的長いバレエまでオマケについていて嬉しい驚きでした。男子生徒7人?による踊りは、観光客へのサービスか?ハンガリーの民族舞踊ぽくて興味深かったし、女子生徒が白雪姫の衣装で現れて、小人役?の男子との踊りがあり、ガラスのケースに横たわるけれど、王子様はやって来ない、って言う劇中劇のバレエの演出も面白かったです。満喫しました。


ブダペスト最後の夜にふさわしい体験でした。


長くなりました。お付き合い下さってありがとうございます。