自分の事よりも、常に先ず人の事を考える人でした。
43年間、高校教諭を務めた教育者でした。
引退後もボランティアの仕事などで、活動的に常に動いている人でした。
約7年前にアルツハイマー型認知症と診断されました。
時間と場所が混乱する、記憶がない/出来ない、など典型的な症状に悩まされていました。
でも、明るく、とことん親切な性格は最後までそのまま変わりませんでした。
最近では「貴方は、私の父ですか?それとも息子ですか?」と主人に質問をして困らせました。
私の事は、主人の妻らしい、と分かっても、一体誰なのか、全くわからなくてなっていました。
話しかけると、美しい、でもあまりにも丁寧なデンマーク語で、返事がありました。
その一方、病気になる前は俗語など彼の口から発せられるのを聞いた事がありませんでしたが、病気になってから、時々使うようになりました。まるで小さな子が悪ぶってそうするかのようで、可笑しかったです。
その義父が昨日亡くなりました。
食べる事も、飲む事も出来なくなり、その時が近付いている事を看護師に知らされました。
延命治療はしないのが彼の希望でした。
義父は、意識不明で、ただ息をする事に集中していました。
あと数時間の命だろう、と言われていましたが、丸2日間その状態が続きました。
一生懸命息をする義父の横で、私達に出来るのは、手を握ったり、脚をさすったり、スポンジに水を含ませて唇を濡らしてあげることだけでした。
義父は、ヒューマニストで無神論者でした。それでも、私達とは教会に行ってくれる人でした。私は彼の為に天使祝詞を何度も何度も唱えずにはいられませんでした。
規則正しかった呼吸に変化がありました。暫く止まる事が何度かありました。その度にこれが最期か、と思いましたが、再び呼吸が始まりました。
呼吸の間隔が次第に長くなりました。4秒、6秒、9秒、13秒、そしてまだもう少し長くなるかな?と思っていました。でもその時、義父の中からすーっと何かが抜け出すのを感じました。
日本語では「息を引き取る」と言いますね。それは「息を退く」「息する事を止める」という意味でしょうか?
デンマーク語では「udånder」つまり「息を吐き出す」と言います。英語の「expire」と同じです。
すーっと何かが抜け出たのを感じた直後、グオーっと言う魂の叫び声と一緒に、義父は最期に息を吐き出しました。
義父は勇敢に命と向き合い続けました。それは自然で、とても、とても美しい最期でした。
若かりし頃の義父と主人の写真です。