「堆砂垣(たいさがき)」 | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

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なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

 刑務所に入れられた男が、ボール紙に海岸と砂丘の絵を描き、それも鉛筆でいかにもそれらしく描いて、小さい格子のはまった窓の下に立てかけ、部屋の反対側の隅から、まるで絵の中の砂丘を歩いているように歩き回るという話がなかったろうか?

 いまぼくが立っているこの遠州灘の砂丘は、だいぶ前にたまたま行ったことがあるサハラ砂漠のような、大きな起伏の連なる砂の世界から見るとちっぽけだが、その先に無造作に広がる太平洋の海と視野を合わせると、そして吹き上げる潮風を吸い込むと、サハラやゴビとはひと味もふた味も違う自然の大きさが感じられる。それも箱庭のような感じではなく、生きた自然の荒々しさをもって。「月の砂漠」にあるような、駱駝の隊商が連なって歩く大砂漠よりも、空気がはるかに濃いような気がする。

 ぼくの背中側、つまり眺めている砂丘の反対側には、津波防災用の大きな堤防が築かれて、その高い堤防の上には自転車専用のりっぱな道路がある。散歩やジョギングする人たちがまばらに道路の端を通っているのが見える。いかにも典型的なこの辺りの風景だ。

 友人と二人で立っていたぼくは、二人そろって大きな流木に腰を下ろし、さっき駅前のスーパーで買ってきた缶ビールを開け、ときどき吹き上げてくる砂の混じった強い風をけっこう楽しみながら、口の中で生ぬるくはじけるほろ苦さを味わった。友人の名は洋二というが、洋二が突然「あの一番でかい砂丘に行ってみよう」と言って腰を上げたので、空き缶をビニール袋に入れながら、彼の後ろにしたがった。

 足首まで砂に埋もれたが、これでも観光客などが踏みしめて歩いた道だ。夏は焼けつくような熱さの道だったことをおぼえている。けっこう息が切れる。さっき洋二が指差した砂丘の上まで来ると、堤防のところからチラッと顔をのぞかせた紺緑色の海原が、大きく堂々と広がっている。真冬の昼時の屈託のない太陽の光を、近くの波や遠くの波が、全体でキラキラ反射させている。潮風に汗ばんだ顔や首筋をなでられながら、その風景に見とれてしばらくつっ立っていた。

 洋二が、竹で作った粗い屏風に似た、夏の日のヨシズのようなものが、海岸近くまでいくつも一列に並べてあるところに行った。その小さい柱に取り付けてある木製の手書きの表示板を見て、「何か書いてある」と言いながらぼくのほうに顔を向けて、大きな声で「堆砂垣だってさ。近くの小学校の生徒たちが手伝って作ったものだ」と叫ぶように言った。――彼の家族には小学生がいる。ちょっと身体に不自由なところがあって、最近その子の体調が思わしくないと聞いている。彼はいつもその子のことが頭から離れないと言っていた。

 ぼくは彼のところまで海側の斜面を斜めに下りた。「なるほど堆砂垣か。強風による砂の移動で砂丘が痩せることや、陸側の道路や人家に砂が広がることを防いでいるのだろう」と洋二に聞こえるか聞こえないかには構わず、そう声に出した。風が強い。話す声もどうせとぎれとぎれにしか届かない。この辺りはさっきの大堤防は切れている。砂丘に入る道のところの信号のある交差点は、交通量も多く店や人家も近い。「そうさ、それにこの堆砂垣は、強い風ですっかり埋まってしまうこともあるらしい。この上にまた新しい、何の跡形もないただ平らな砂の丘ができるわけだ」と洋二。「そうか、そういうものか」

 小学校の生徒たちらしい10人くらいの一団が、大きな声でいくつものおしゃべりを混然と弾ませながら、先生らしい若い女性と男性にはさまれて近づいてきた。ぼくはすぐに、妙にぐずぐずしている洋二をうながすように、波打ち際に向かって下り出した。「オレに気をつかわなくていいよ」とすぐ後ろから言われ、ぼくは振り向きもせず、ただ「そうか」と答えた。洋二と、堆砂垣の姿やその生き様について何か言葉を交わしたかったが、それはやめた。そのことはぼく自身こそが自問すべきことなのだ、と最近身のまわりに起こった出来事のことを考えた。

 あの刑務所の男は、一人でも広いとはいえない部屋の中で、思い出のある海岸の砂の丘を、きっとほんとうに歩いていたのだろう。濃い空気を感じながら――。彼には彼の堆砂垣が見えていたに違いない。多分、その男は、堆砂垣の上に新しく出来るはずの新しい世界を、部屋をゆっくりと歩き回りながら、何度も反芻するように、頭に描いていたのだろう。