「ジャングルジムの町」 | 風に吹かれて マイ・ヴォイス

風に吹かれて マイ・ヴォイス

なりゆきまかせに出会った話題とイメージで、「世の中コンナモンダ」の生態系をのんびり探検しています。これはそのときどきの、ささやかな標本箱。

 心理学者と、社会学者、それに都市工学が専門の建築設計者たちが提案し、政府の後押しを受けて、「ジャングルジムの町」をモデルケースとして造ったのはもう8年前になる。設計時には、地質学者も、海洋学者も、気象学者も参加させられ意見を求められた。地震、津波、火山や洪水が多いわが国にふさわしい都市を、大々的に、平野や、山岳地帯や、海底にまで造っていくためのデータ集めが当初の目的だった。こういう町が良いのか悪いのか、担当替えで新しくこのテーマを受け取った駆け出しジャーナリストの私には、2044年の今のこの時点ではまだ判断できない。優遇制度や興味につられて好んで移り住んできた人や、それぞれが何かの専門家だとかの理由で強制も含めて移住させられた人たちも多いらしい。その後の出生や死亡ややむを得ない出入りで正確なところは不明だが、だいたい6千人がこの町の人口というところだ。住んでいる人のほんとうの声はなぜだかあまり聞こえてこない。

 簡単に説明しておくと、ジャングルジムの町は、むかしからのビルとビルとを連絡する通路を、極端に頑丈にしたような「横」の構造と、エレベーターを中心に多目的化したような「縦」の構造を、まさしくジャングルジムのように縦横に組み合わせたものとみればわかりやすい。四角い断面の高強度の鋼材が主な強度部材で、防弾ガラスのように特別に複合強化されたガラスが縦横でそれを取り巻いている。あえて剛性を出したいところには部分的にコンクリートも使うが、コアは鋼材、外面は透明ガラスといったところが基本だ。それをおびただしい連結点で組んで、いろいろな機能を付け加えて巨大な町にする。横は、中央部をまっすぐにオートトラベル機構が数百メートル設置され、その両側には住居がある。ほぼ50メートルごとに、住居の部屋が途切れて、その部分が小さいエレベーターホールになっている。縦方向の主役となるエレベーターは、リフトとしてのエレベーターだけではなく、その一方が居住部分になっている。エレベーター(リフト)には資材や荷物用のものと人間用のものが複数あり、各階への停まり方やスピードもいろいろだ。町を形作るジャングルジムなので、そのひょろ長い縦横空間の中に、病院や文化・福祉施設などの町の機能を、これでもかというくらいのみこんでいる。地下構造は基礎以外にはない。町役場は2階にあり、町長家族は上部80階の高層ゾーンに住むという具合だ。いざとなったり何らかの都合の悪いことが起こったときには、ジャングルジムを必要に応じてばらばらに分解して組み立て直せる。――などと細かく説明しているとキリがないが(詳細を短く紹介することは不可能だ)――とにかく、上空1万メートルを飛ぶ旅客機の窓からもはっきりそれとわかる、6千人が住む、巨大なジャングルジムが2つある。外国からもこの大きな社会実験がどうなるか注目されている。

 ジャングルジムのご利益は、大量の共通部材の組合せでできるので大幅に低コストの町が作れる、縦横の色のバリエーションで老若男女に快適な町が作れる(これには異論も多い)、直線だらけの町なので男性的だ(ジェンダー的にどうか?)というものである。が、こういう直線賛辞の意見のせいか、町の中のレストランの皿はすべてが四角形のものだ。四角いコーヒーカップもある。私はそのレストランにまだ入ったことはない。また、町の中、つまり巨大な矩形のパイプの中に置かれた植木は、鉢も直線でできた箱形だし、植えられた木々もほとんど枝葉のない直線的なものだ。話はとぶが、視察した、また体験移住してきた自衛隊の幹部や隊員は、防衛能力に非常に優れた構造の町だという。たとえば大群で群れた鳥や魚に対しては捕食者が狙う的を絞れないように、敵の攻撃を効果的に抑制できる町だというのだ。彼らは自国防衛のためにも国中をジャングルジムの町や都市にすべきだという意見を固め、政府もそれにむけた法制化を暗に画策中だとも聞いた。外国の人はこれをどう聞くだろうか。

 ほんとうのところは――どのような町なのか? 本質的なのか末梢的なのかわからない話だが、そもそもこの町を提案した心理学者が、その成果でノーベル賞候補にあがっているとのことには驚いた。問題はその成果の中身だ。大小さまざまな曲率の曲線やその組合せを使わないで直線だけの世界にすると「人は夢をみない」という仮説を立て、それをこの町から得たデータで立証したのだそうだ。これには、不十分な実験でそんな結論を導くなとか、すばらしい成果だとか、国の内外から反応がある。だったらジャングルジムの町には絶対に住まないという意見も多いらしい。ふだん悪夢でうなされている人であっても、夢はみたいのだ。夢のような町で人は夢をみないというのか、というギャグ調のヤジもスマートグラスなどのネットワークを騒がせた。肌感覚情報にもいろいろ伝えられていた。政府はむかしからのしきたりのように、正論はなく、問題をそらし、真剣に検討するとかいう思考停止の対応でそういうヤジを切り捨てた。ほんとうにそれでいいのだろうか? 半透明になったような虚構はないのか? ――どういうわけか、国民のそういう弱く微妙な意見に関する報道もほとんどない。自分もメディア業界の端で仕事をしているが、AIなどで仕事の質や内容が変わり、変化に適応できない組織はすでに腐りかけてきていると思う。このジャングルジムの町を国民のためにいかに堂々と「こなす」かが、メディア業界の試金石のような気がする。正直言って、いやなときに御鉢が回ってきたものだと思った。

 ところで、そういう「ヤジ」には、ジャングルジムには蜘蛛の巣も張りやすそうだとか、ジャングルジムが人を寄せつけないジャングルになる日は近いとか、言いたい放題のものもあった。が、私にはそのほとんどが、言葉は適当でないにしろ、人の気持ちの奥から出ている人間の声のような気がして、とても笑えなかった。