昨日、わが家で新しく設けた墓が完成し、初墓参をした。
石材屋さんに無理を言って、やや遠方のお寺にあったわが家の「家之墓」を解体した際の石を再利用してもらった。 むずかしいかと思っていたことだったが、まわりの人のご努力もあって、なんとかゴールに漕ぎ着けた。
墓参ついでに、メモ用紙を持って、まわりを見まわしたり、少し歩きまわってみた。
最近の墓石は、霊園や墓園などと呼ばれる新しくつくられた施設を中心に、戦後はやってきたいわゆる洋型がいっそう進化した「デザイン墓石」 の傾向が目立ってきている。 墓石の形状、色、彫刻など、多岐にわたっておもしろい。 墓地という かつてちょっと独特でマイナーだった場所が、静かで気持ちのいい、
リラックスできる場所に変容しつつある、そんな気がした。
明治以降の「家制度」 の流れで長いこと「○○家之墓」 と彫られていた墓石に、今、いろんな文字が彫られている。 メモにある例をあげてみる。
〈 和、絆、道、空、旅、愛、風、心、倫、偲、光、祈、想、・・・〉など漢字一字の文字がある。
また、〈 感謝、博愛、真心、希望、友愛、旅路、再会、笑顔、・・・〉など二字のがある。
さらに、〈 ありがとう、やすらかに、来てくれてありがとう、・・・〉などもある。 まだまだある。
独自の銘やステキな絵柄などもある。 今の世代を生きる人たちの息づかいが伝わってくる。 どれも、
それぞれの事情や状況のなか、精一杯思いを込めたのだろう。 胸が熱くなる思いがした。
こういうお墓は、むかし父母や祖父母に連れられて、なかば尻込みしながらお参りさせられたお墓と違って、此岸(こちら側、この世) とか彼岸(あちら側、あの世) とかの輪郭を感じさせないことに驚いた。
というより、こっちもあっちもない、そういう空気がある。 明るい空気が。
此岸とか彼岸とか 〈名付けられた状況〉 ではなく、そういう名前をつけられる前の・・・もっとずっとむかしの・・・〈あるがままの世界 (状況) 〉 というような始原的なものが、なぜかスッと肌で感じられるようで 素直に愉しくなるのだと気がついた。
墓参のご利益だろうか、こういう透き通った愉しみは 本当にうれしい。
(2021.7.13)