僕の母親。 | あ、ヒキガタリビトの部屋

僕の母親。


僕の母親。


僕には母が二人います。


生みの母と

育ての母。


これから話すのは

生みの母の話。


僕が6歳の頃、両親は離婚し

僕は父親に育てられました。


6歳と言っても

僕には子供の頃の記憶がほとんど無く


つまり

実の母と一緒に暮らしていた記憶が

ほとんどありません。


離婚はしているものの

お正月には母方の実家に兄弟だけで毎年遊びに行っていました。

それ以外でも

一年に12回は会ってました。

子供ながらに別れる時は物凄く寂しくて

母もそれは同じだと思うのだけど、、、。


僕が小学生の頃は

シングルマザーなんて言葉は無く、

離婚する事はとても悪いイメージがありました。

まぁ、この言い回しも変ですが。。。

母親がいないというだけで

物凄く差別されているような

子供ながらにそんな感情がありました。


授業参観の通知も父には知らせず

学校のゴミ箱に捨てていました。


観覧のほとんどが母親の中、

そこに父の姿があるのは

当時、学校でいじめられていた僕にとっては

更にイジメのきっかけになるのでは?

とか、

父が恥ずかしい思いをするのでは?

子供の頃、勝手に思い込んでました。


ここからかなり話を飛ばしますが(^^)


母は今、

と言っても20年以上前から

新しい旦那さんと千葉県に暮らしてます。

毎年お正月には遊びに行くのですが

その度にご馳走を用意してくれます。


それが物凄く申し訳ないと思っていて


母はお世辞にも裕福な暮らしとは言えず、

携帯のメールサービスを外すほど

1円でも安く、節約生活を送っています。


決して多いとは言えない年金生活で

たまに来る子供達の為に無理をしてくれます。


もちろんコレはこちら側の考えで

母からすれば

子供の頃、一緒にいてあげれなかった後悔と

最大限の愛情表現だと思うのですが


その愛情を

申し訳なく思うのも野暮だと思うのですが


数年前、

母と一緒にDAISOに行きました。


僕がよく使っている

白い小さな財布はその時、

母に買ってもらった物です。


43歳にもなって

100円の財布を何よりも大切に使ってます(^^)


母が毎日少しずつ節約して買ってくれた財布。

100円かもしれないけど

僕にとっては

100円ではない財布。


僕が生きている間に

あと何回、母に会えるだろうか

会うとお金を使わせてしまうから

あまり会いたくないのだけど

母は会いたいだろうな


少しずつ小さく感じる母の背中を見ると

何とも言えない感情になる。


今年、

もう一回ぐらい会いに行こうかな。


お金を使わせちゃうけど

甘えに行こう。。。



おしまい。



ロックンロール!