2016年、平成28年を振り返る3・大平透先生、ありがとうございました | 岡山エンターテイナー俳優 むーくん(Muukun)高橋無我 オフィシャルブログ むーくんワールド 今日も無我夢中!!

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初めて声を聴いたのは、
子供の頃に再放送で観た、
テレビアニメ
『ハクション大魔王』の
大魔王。


その他にも、
『おらぁグズラだど』の
グズラ、
『科学忍者隊ガッチャマン』の
南部博士、
『てんとう虫の歌』の
岩倉鉄之助、
『おそ松くん』の
デカパン、
『いなかっぺ大将』の
大柿矢五郎、
『笑ゥせぇるすまん』の
喪黒福造、
さらに、人間キャラの他にも、
『一発貫太くん』の
十兵衛や、
『ダッシュ勝平』の
誠一郎といった、
犬キャラ、
『とんでも戦士ムテキング』の
悪役の
タコの宇宙人、
タコベーダーの
黒ダコブラザーズの長男でリーダーの
タコキチ。


洋画や、外国ドラマの吹き替えでは、
『スーパーマン』の
スーパーマン、
『スパイ大作戦』の
指令の声、
『スターウォーズ』の
ダース・ベイダー。


特撮ドラマでは、
戦隊ヒーローシリーズの
『秘密戦隊ゴレンジャー』などや、
メタルヒーローシリーズの
『宇宙刑事シャイダー』、
『機動刑事ジバン』などの
ナレーション、
そしてコマーシャルCMでは、
田辺製薬(現田辺三菱製薬)の生CMなど。


子供の頃からテレビ等で、いつもその声を聴いてました。




その声の方は、
今年4月12日、
86歳で亡くなられた、
声優の
大平透先生。


そして、
私Muukun(むーくん)は、
大平先生が校長を務めていた、
大平透声優ゼミナール
大阪校の
18期生。


大平先生は、
僕にとって、
初めての演技者の師匠、恩師、先生でした。


映画や芝居、そしてアニメが好きだった、
今は亡き父の影響で、
僕も子供の頃からいろんなアニメを観ていて、
アニメキャラの声を吹き替える、
声優という職業を知り、
自分もなりたいと思ったのが、
中学生の頃。


同じくアニメ好きで、声優になりたいと思っていた妹と一緒に、
漫画や小説を、地声や、当時好きだった声優さんの声まねをしたりして、
朗読したり、カセットテープに録音したりしてました。


高校を卒業して、
1年間フリーターで浪人して、
その翌年の1994年(平成6年)に、
大平透声優ゼミナール大阪校に18期生で入所。


入所式の日、
岡山からJR山陽本線で姫路まで行き、
そこからJR神戸線に乗り換えて大阪へ向かう予定だったものの、
山陽本線で、途中の和気止まりに乗ってしまい、
後の姫路行きに乗り直して、
さらに姫路から新幹線で新大阪に向かい、
ようやく教室に着くも、
初日からいきなり遅刻する失態。


僕たち新入生に向かって、
あいさつの言葉を述べていた男性。


大平先生だ!!


子供の頃にテレビ等で声を聴いていた、
アニメ、洋画好きの父から昔の話を聞かされていた、
声優さんが、
目の前にいる。


大平先生が、
「岡山から来ている子もいる。」と言われて、
「それ、オレだ!!」とドキドキしながら思ったのが、
大平ゼミでの始まりでした。


それから、週1~2回、
岡山から大阪へ、
在来線や新幹線で遠距離通学。


岡山から、昼過ぎに山陽本線の普通各駅停車で姫路に行き、
姫路から神戸線の新快速で大阪へ。


尼崎から電車で川の鉄橋を渡って大阪へ入る時、
大平先生がCM出演されていた、
田辺製薬の看板、
赤色の『タナベ』の文字と『田』のロゴマークが電車の中から見えた時、
「さあ、今日もレッスンだ!!」
と、いつもドキドキわくわくしてました。


そして、大阪からJR大阪環状線で、教室のある玉造へ。


そして、夕方から夜に授業、レッスン。


大平先生は東京在住だったので、
授業、レッスンに来られるのは、月1、2回。


そして終わったら、また東京へ新幹線でとんぼ返りで戻られるハードスケジュール。


それでも、厳しく優しく丁寧に接し、教えて下さりました。


アニメ
『うる星やつら』の台本もテキストに使い、
ビデオを観ながらアフレコの練習もしました。


厳しくも楽しくて面白い授業、レッスンを受け、
そして終わったら、同期の生徒のみんなと、
その日の授業、レッスンや、
あこがれの先輩声優、
当時放送されていたアニメ、
岡山や関西・近畿で放送されていた、アニメ、声優のラジオ番組のことなどを語り合いながら、帰ったこと。


そして、僕は大阪駅でみんなと別れ、
新大阪まで行って、
新幹線の各駅停車のこだまで、
夜遅くに岡山へ戻る。


今でも懐かしい思い出です。




翌年1995年(平成7年)、
基礎科・本科修了と同時に、
僕は東京の声優養成所へ転所するため、
大平ゼミを退所。


それ以来、大平先生に再会することは叶いませんでしたが、
大平先生の訃報を知り、
その後、大阪でも大平先生をしのぶ、
『大平透先生を語る会』の開催の案内を頂き、
かつてお世話になったお礼、
今のご報告、
そして、最後のお別れをさせて頂きたいと思い、
9月24日(土)、
久しぶりに大阪へ行きました。


以前にも少し触れた、
9月に行った、久しぶりの大阪遠征は、
『大平透先生を語る会』への出席のためでした。




会場へ着くと、
在りし日の大平先生の写真。


「先生、お久しぶりです。
ごぶさたしておりました。
帰って来ました。」
と心の中で思い、
一礼。


会場に次々と大平ゼミの卒業生のみなさんが来場。


18期生の同期メンバーの何人かとも、
21年ぶりに再会。


「前はもっとやせてたよね。」
と突っ込まれました。(苦笑)


そして開会。


司会を務めたのは、
大平ゼミ卒業生で、
関西、近畿で活動している、
声優の
松山薫さん。


関西、近畿のラジオ番組出演や司会等で活躍。


ちなみに、
伯父さんは、
今は亡き
漫画家の
手塚治虫先生。


とてもキュートな声で、丁寧に司会をされてました。


度々、大平ゼミ卒業生への案内ありがとうございます。


同じ大平先生の教え子同士、
いつか何かでご一緒できたらと思います。


これからも益々の活躍を期待してます。




大平先生の息子さんの
亮さんや、
大平ゼミの元講師の先生、
卒業生の先輩方、
大平先生のファンクラブ会員の方々の、
大平先生との思い出話、
この日は楽しく語る会にしたいということで、
時折笑いも出て、和やかな雰囲気。


先生の懐かしい映像や声も上映。


そして、僕たち18期生も含め、
卒業生全員の名前も表示。


ありがとうございます。


最後に、
先生の写真へ向かって、
全員で、
「大平先生、お誕生日おめでとうございます!!
そして、ありがとうございました!!」


この日、
9月24日は、
大平先生の誕生日でした。


『大平先生を語る会』、
大盛況でした。


来てよかったです。




最後に
大平透先生へ



僕が大平透声優ゼミナールに入所して、
声優、演技の道に入ったのが、
19歳の春、
まだ未成年の時でした。


あれから22年、
今でも昨日のことのように思い出します。


入所式、初日早々に遅刻しても、特におとがめもなく、
「岡山からも来ている子がいる。」と言われたこと。


最初のあいさつで、
「事情があるなら、途中から授業に来ても、早退してもかまわない。」
「私は昔、緊張してトイレによくいったので、
授業中にトイレに行きたくなったら、声は掛けなくていい。
遠慮せずに行きなさい。」
「私の授業の時はテープレコーダーを持っていらっしゃい。
我が家へ帰って、テープを聴いてみるように。」
と言われたことを、
今でも覚えています。


授業では、
「間をおけ。」
「並列変化を付けろ。」
何度も繰り返し言われてましたね。


僕が岡山、西日本出身なので、
アクセントの違いを何度もダメ出しされたり、
「君は優しすぎるよなあ。」
と言われたこともありましたね。


阪神・淡路大震災で新幹線や在来線が不通になって、
岡山から大阪へ通うのが困難になった時、
大阪の大平先生の事務所、大平ゼミのスタッフを務めていた先輩を通じて、
「テキストの文章を朗読して、テープに録音して送って来い。
添削してやる。」
とおっしゃって下さったこと。


初めての時は、
返信の宛名の書き方を間違えたり、
返信用封筒や切手を一緒に送ることを知らずに送ってしまい、全くもってお恥ずかしい次第でしたが、
テキストのコピーに赤ペンで細かくダメ出しやアドバイスを書いて下さり、
「元気で何よりです。
本科生でテープ添削は君が初めてだ。
やる気と根気、努力の積み重ねが君の道を招いてくれるだろう。
ガンバレ!」
次からはちゃんと送って来いよと、
大平先生直筆の手紙を一緒に送って下さいましたね。


そして、
基礎科・本科の修了式に何とか出席できて、
大平先生が、
「よく来たな!!」
と言って下さったこと。


お別れする時に、
「岡山に帰るんだろう?
新大阪駅まで一緒にタクシーで帰るか?」
と言って下さったこと。


その時は、まだ新幹線が新大阪まで復旧しておらず、
姫路まで神戸線で帰らなければ行けなかったので、
ご一緒できなかったけど、
先生のお心遣い、
すごく嬉しかったです。


今は、地元の岡山へ戻りましたが、
岡山で製作、岡山が舞台の映画やドラマにキャストやエキストラ出演して、
俳優、役者、演技者の道を、
今でも歩み続けています。


最初の声優になる志から少し離れましたが、
ネットラジオ番組や、
岡山のショートアニメに出演したり、
岡山のケーブルテレビ局のドキュメンタリー番組のナレーションをやらせて頂き、
形は多少違えど、地元岡山で声の演技をすることもできました。


演じることの厳しさ、
そして楽しさ、面白さを教えて下さったのは、
大平ゼミ、
そして先生のおかげです。


大平ゼミでの一年があったからこそ、
今の僕があります。


大平ゼミが、
僕の俳優、役者、演技者としての原点です。


大平ゼミの入所案内のパンフレットや、
テキストと、添削の時のコピー、
そして先生直筆の手紙、
大平ゼミの基礎科・本科の修了証書、
今でも大切に持っています。


家の片付けをしている時に、
久しぶりに修了証書を見た日、
先生が亡くなられる直前でした。


先生がお別れに来られたような気がしました。


修了式でお会いしたのが最後で、
再会することが叶わなかったのが残念でなりませんでしたが、
『語る会』に参加できて、
先生の写真の前で、
お礼と、今のご報告、最後のお別れができてよかったと思っております。


修了式の時と同じように、先生の写真が、
「久しぶりだな。
よく来たな!!」
とおっしゃっているように思えました。


修了式での最後のあいさつで、
僕は、
「いつまでも、大平先生は、
僕の師匠です!!
僕は、
大平透の弟子です!!」
と言った時、
大笑いしていた先生。


今でもその気持ちです。


これからも、
大平透声優ゼミナールで先生に教わったこと、
入所案内パンフレットや、修了式の送る言葉のプリントに書いていた、
「人生は動く。
動かすのは、
君自身だ!!」の言葉を胸に抱き、
演技者の道に日々精進していきます。


あちらから、
厳しく、そして温かく見守って下さい。


大平透先生、
本当に、本当に、
ありがとうございました!!


大平透声優ゼミナール
大阪校
18期生
Muukun(むーくん)