うんこに振り回される珍類 3 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

他の生き物のように当たり前の食事をしていればこのような問題は起きない。

当たり前の食材とは自然界の産物であり、そうでないから問題が起きる。

 

自然、天然、大地、安全、安心、どれほど言葉で飾ろうがそうでないことは結果が示している。

無農薬、有機、無添加、国産・・まったく的外れだから結果も出ない。

 

それらは穀物、野菜果物、肉類など主要食材すべてに及んでいる。

つまり何を食べようが大差なく、健康回復の決定打にはなっていない。

自然の産物と何処がどのように違うのか、調べれば簡単にわかるのだがそれをやる人もいない。

 

原因は、生物学・植物学・農学に物理学のような理論がないからだ。

「田畑の植物は、野山の植物とは全く異なる」と、道理をもって唱える学者が農業開始以来1人もいなかったからだ。

 

不眠も食欲不振も過食も便秘も原因は同じで自然の産物不足、つまり本来の食べ物不足が原因だ。

長い間本来の食べ物が体に入らなければ、代謝、臓器の異常などありとあらゆる不調を引き起こす、それが病だ。

 

不眠、便意、過食、冷え性、うつ、デトックス、メタボ、生活習慣病解消の努力など本来は必要ないものなのだが、症状が深刻ならそれも仕方ないだろう。

一時的には楽になるだろうが終わりのない対策であることも間違いない。

 

玄米など、種子の皮は動物に消化されないよう何億年もかけて進化した植物の知恵。

それを食べ易く粉砕して食べようとすることに無理があり体力の消耗を招く

 

完全消化出来ないのだからスカスカで便通は良いだろうが、代謝もうんこも重くなり、ガス欠で疲れやすくなるのも当然。

人間の食性にも合わず、肥料を投入すれば本来の健全な食用植物でもない。

 

動物は「出す」為に食べるのではなく、必要な「エネルギー備蓄」の為に食べる

他の動物、哺乳類までもが1種から数種の食べ物で賄うように、成分や食事のバランスはまったく関係なく、「生命エネルギー」を生命から摂取している

「生命を有難く頂く」とはそういうことではなかろうか。

 

土を作り、肥料で農産物を作ろうとする限り完全な生命が生まれることはない

生命を作ることは最初から「無理」なのだから、それらは地球に、多くの生き物に任せればよい。

 

農業、健康の世界の常識が覆る日は必ず来る。

快眠、快食、快便が当たり前になる日も・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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