生命に関する学問、医学、薬学、栄養学、健康学、農学、生物学などは、成分・養分を基盤にして構成され、健康食品のCMにも、必要成分、栄養分、成分効果などの言葉が日常使われている。
顕微鏡で見れば詰まるところ成分しか見えないのだから異議を唱える人もいない。
「必要成分」とは、何時誰が唱えて決まったのか、人間だけでなく同じような動物・哺乳類に共通することなのか。
「体内で作れない必要成分」・・・?
体内で作れないのなら外部から取り入れる必要があるが、食べることでそれを補うしかない。
「体に良いもの」も同じで、そうして「大量の各種野菜果物、栄養バランスの良い食事」が健康の常識となっている。
何故、近代に出回った野菜果物が近代になって必要になったのか、栄養バランスが近代になって必要になったのか、その道理が明確に示されていない。
周年豊富な野菜果物もなく、栄養もバランスよく摂れない昔の人は病に苦しみ大変だったのか。
昭和初期に比べて現在のほうがはるかに病の数も種類も増えているが・・
人間だけでなく他の動物、哺乳類もそれが出来るのか。
さようなことが出来るはずもない。
食べ物は世界各地のその場で得られる1種から数種なのだから。
これだけでも・・おかしいとは思わないかな。
人間と野生動物、どちらが病が少なく健康なのか。
成分も栄養分も考える必要がないという証明ではないのかな。
カロリーに悩む動物も人間以外いないのだからこれも同じ。
人間だけでなく動物にもその成分が絶対に必要と言うなら・・
たぶんそうなのだろう。 まあそれに従おう。
そうだとするなら、他の動物は1種~数種の食べ物で必要なそれらすべてを賄い、不自由していないことになる。
多種バランスよく食べる必要もなく大丈夫・・と言うことだな。
生命を成分だけで捉えるからこのような迷路に入る。
面白かったかな
植物は光合成が有名だが、動物も皮膚や筋肉や爪や髪などややこしいものを日々自分で作り続けている。
草食動物のように葉っぱ1種でもやれるのだからたいしたことでもない。 その為のややこしい学問は必要ないだろう。
野人理論では・・
成分養分は直接は健康に関係がない。
食物を問わず、心身を制御する「生命エネルギー」さえ得られれば、必要なものは体内で作れるのが「生物」だ。
成分に関係がない以上、エネルギーを得る手段は食べるだけとは限らない。
カロリーに代わる動力は睡眠による一般的な電気エネルギーであり、すべての動植物は自動充電・自動覚醒だから努力することも難しく悩むこともない。
つまり、人間も同じ動物、完全な細胞の主食さえ間違えなければこれらのことは考える必要もない。
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