慣行農法は土作りから始まり、野菜作りに入る。
しかし誰も土など作れず野菜も作れない。
人間の言う混合土と野菜は作れるだろうが、生命を育む表土と生命である植物が作れるはずもない。
自然界には人間の田畑のような土壌はなく、そのような表土すらなく、人によって世話をされ、作られる植物もない。
表土はどのような構造になり、どのような役割を担っているのか。
植物は何を動力にどのような仕組みで枝葉を伸ばし、花や実を付けるのか。
人間の活動が栄養やカロリーで営まれるのなら、植物に肥料と言う栄養を与え、カロリーは与えなくともよいのか。
カロリーでなければ植物の動力は何なのか、はっきり示せないのが現学問。
説明出来る人もなく、生物学、農業などの学問は進み続けた。
そこには、こうすれば早く立派に育つと言う結果しかない。
植物だけでなく肉や魚も同様の道理で進め続けた。
その結果、養殖魚に養殖肉に養殖野菜などは、自然界の生長速度の2倍から7倍ほどの速さで生長が進んだ。
これらの肉や魚や農産物が自然界のそれらと同じで、食べ物としてまったく問題がないのか、その証明どころか語る人すらいない。
魚も肉も野菜も、それらの味も価格もまったく異なるにも関わらず同じものとして扱われている。
生命を成分で判断するからそうなる。
人間が関与しない野山の表土と植物・・
何で立派に育つのか、どのような仕組みがあるのか、自然と対峙して謙虚に学び直したほうがよい。
幾ら社会から学ぼうが本から学ぼうが、そこがはっきりしない限り役には立たない。
お役に立てたら・・ クリック