野人のスピリリチャル講習会 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

             目           叫び

イガミ(ブダイ)の刺身 肝醤油  牡蠣スモークも

千円の賄いランチにしては 御馳走だな

猪鹿薬膳トマトシチュー

焼き牡蠣 スズキの白子の蒸し焼きも・・

 

 

今日の農法講習会は2人の要望でスピリリチャル講習会に変わった。 スピリチャルではなくピリリと辛いスピリリチャル講習会だ。

 

「むーさん 死んだらどこ行くの?」

 

「あっち・・」

 

「あっちじゃわからない」

 

「あっちはあっちだ 行けばわかる」

 

「それって・・火葬場・・では?」

 

「まあ半分は当たっとるな」

 

このように、お野人はすべての質問に丁寧に応え続けた。

 

3日前と2日前に、「魂の磨き方」「理性の磨き方」を書いた。

理性の磨き方は好評でフェイスブックのシェアも多かったが、魂の磨き方はシェアもなく今日の受講生もわかりにくかったと言う。

 

しかし、どちらも同じもので同じことを言っているのだ。

どちらも物理であり、野人理論の中では入り口が異なるだけ。

 

「理性の磨き方」の冒頭では同じものであることを示している。

 

魂は磨くものではなく、地球の理に逆らわず生きていれば誰でも磨かれる。

理性は磨くものであり、磨こうとしなければ磨かれない。 地球の理と理性、どちらも同じ意味の理だ。

 

知性はすべての生き物に備わっている認識能力で、理性は道理を立てて物事を判断する人間独特の能力。

人間は知性と理性が一体になって行動する。

 

考えて行動する現実の暮らしはすべて物事のことわり、つまり物理であり、理性なくして暮らしは営めない。

 

地球の理ではないが、「暮らしは物理」をわかりやすくする為にトイレを例に挙げれば・・

トイレの場所探し、引き戸か押戸か、洋式か和式か、水洗かボッチャンか、水洗ならどうやって水を流すのか、これらはすべて物理的判断だ。

お野人・・レバーもなく流し方がわからず放置したこともある。

 

ハイテクウォシュレットトイレに江戸時代から人を連れて来ればよくわかる。 おそらく反対向きに座り、用を足してそのまま帰るだろう。

段差のある和式トイレに反対向きに座り、お尻が抜けなくなって必死で助けを求めていたアメリカ人の女性を救出したことがある。

これがまた引っ張っても簡単に抜けなかった汗

外野から見れば笑い話になるだろうが、本人は至って真面目だ。

 

地球の理、森羅万象の理を正確に理解すれば生命の仕組みも間違えず、食べ物を間違えることもなく病不調に苦しむこともない。

個人差もあるだろうが我欲も消え去ることが多い。

人間社会の理を正確に理解すれば仕事の失敗も少なく、怪我もなく、自らの不注意で交通事故に遭うこともない。 我欲とはさほど関係がない。

 

判断によって天国も地獄もある。

不可抗力の災難は仕方ないが、間違いが少ないほど、理によって先が読めるほど、波乱万丈も人生の山も谷もなくなる。

感性は感性の役割があり、正確な現実の物理的判断は感性では不可能だが、理性と感性の境界線を持たない人のほうが圧倒的に多い。

 

地球の理と人間社会の理の2つの理性、それを間違えなければそれらとは無縁。

魂など磨こうとせずとも必然的に磨かれる。

記事を再度読み直せば同じものだと言うことがわかる。

 

懸命に魂を磨こうとするのは病を治そうとすることに似ている。

何故病になるのか、その道理が理解出来れば生命の道理を間違えたことに気づく。 間違いを修正すればそもそも「治す」という概念は存在しない。

 

現実の結果によって心の在り方も変わり、悩み迷い苦しみも変わり、他に救いを求める必要もなくなる。

それらを煩悩とも言うが、それらの大半は消え去る。

ボンノ~についてはまた次回に。

 

  

しゃべるやじん

https://ameblo.jp/muu8/entry-11878157018.html

 

気の科学10 磁場とヒーリングの関係

https://ameblo.jp/muu8/entry-10117986642.html

 

 

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