生命の土は人に作れるものでもなく、植物もまた人に作れるものではない。
森羅万象では当たり前のことだが、人はそれに気づかず大きな過ちを犯した。
生命の土とは自然界が築く土壌構造のことであり、植物をはじめ多くの生き物達が創り上げる物理的に高度な仕組みを持つ表土のことだ。
その複雑な仕組みを知れば知るほど人間には到底出来ないことが理解出来る。
その表土から陸のすべての生命は生まれ、生を営み、朽ち果てる。
元素から有機へ、有機から元素へ、生命誕生以来繰り返されてきた循環の仕組みは完全であり、これが大地の法則だ。
生命に関する現学問の中には物理、つまり物事の理(ことわり)は入ってはいない。
世界に存在しない生命の物理を野人と原人は構築しようとしている。
問題を多く抱える地球の復元にはどうしても必要だからだ。
今回の荒廃農地の開墾は理論の証明の役割を担っている。
むー農園の実験から、農業波及・生産実験へと移行する。
農業の衰退、過疎化問題はなぜ生じたのか。
山村は人が暮らす理想的な場所にも関わらず過疎化が深刻。
山の奥で陽当たりも十分ではなく、笹竹が密生して人も入れないほど荒れ果てたこの棚田跡地。
小さく、変形した田ゆえに機械効率も生産効率も悪い。
これ以上人間の侵入を拒んでいた荒廃農地は他に知らない。
将来この地を再生して使う人は誰も出て来ないだろう。
しかし、協生農法にとっては理想的な農地なのだ。
極限の地サハラが緑化復元、農地として再生したように、この地も立派に再生してみせる。
誰もこの地に手を付けられない理由は、草ではなく笹竹がビッシリ、根も縦横無尽に表土を占拠しているからだ。
竹をある程度駆逐して使えるようにするには3年かかると言われるが、野人は駆逐する気はない。
他を寄せ付けないほど凄まじい竹笹と共存するつもりなのだ。
「凄まじい、手に負えない」という表現は、裏を返せば「凄い」という誉め言葉であり、この凄いエネルギーを活かし、協生すべきだろう。
どのように活かすか・・それは知恵の使いようで決まる。
耕運機も使えずスコップも入らないような表土・・面白いではないか。 策なくして開墾などはしない。
野人の手並みを拝見したい人は、ここへ足を運ぶといい。
まだ片付け整備、植樹、種蒔きなどやることはたくさん残っている。
イベント講習がてら、読者の皆さんにお願いすることも増える。 今回手伝っていただいた皆様、ありがとうございました。
この地での野外ランチは最高
上流には何もなく、冷たく綺麗な水も流れ、景色は美しい。
周囲の森は既に野生の食べ物だらけ。
この荒廃農地の復活は地域の人に、いや国内全土に希望を与える。
育てなくとも植物は育ち、動物に糧をもたらしてくれる。
農業は辛く苦しいものではなく楽しいものだ。
草刈り機以外たいした農機具は必要なく、肥料も堆肥も石灰も農薬もいらない。
ここを中心に、この地域すべての荒れた谷を野人は業として成り立つ農地に再生するつもりだ。
賛同する多くの人達にこの事業に参加していただきたいと願っている。
大地に草が密生 森になる理由
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肥料がもたらす災い
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